混沌に沈む
最終日
そのまま迎えた最終日で、セシルが正常な意識を保っていた時間は殆どなかった。頭が何も働かない。時間が次々消し飛んでいく。監督の溜め息と共に、OKと叫ぶ投げやりな声が響いた。まばらな拍手が辺りを包む。長期に渡る撮影が終了したのだ。
しかし、心からセシルに対して労いの気持ちを持っている人間は殆どいなかった。プロデューサーの男だけが上機嫌に微笑みながら、クランクアップを祝う花束をセシルに差し出した。
セシルは鉛を飲むような気持ちでそれを受け取る。皮肉なほどに美しい薔薇が花束の中で咲き誇っていた。セシルを抜擢した監督や撮影所のスタッフ達にどのような挨拶をしたのかもセシルは覚えていない。殆どカットだろう、という囁き声が耳まで届いていた。
それに対してセシルが何かを思う前に、プロデューサーの男が腰を抱き、彼を撮影所から連れ出していった。
「セシル君。撮影の間ずっとここに来たくてしかたないって顔してたぞ。随分淫乱になったもんだな」
「………………」
セシルは最早何かを言い返すことさえしなかった。それは男達を刺激しない為でもあったが、正面から男の言葉を否定するだけの根拠を持つことが出来なくなっていたからということの方が大きい理由だった。理性が幾ら否定しようと、本能が与えられる快楽を求めている。服を脱ぐだけで吐息が乱れ、瞳は誘うように潤んでいた。
「今日で終わりだから少し変わったことをして遊ぼうか。セシル君、腕を出してごらん」
「……はい」
医者はセシルの腕に薬を注射した。数分もすればいつものように耐え難い疼きが襲い、再び男達に屈服させられるのだろうと半ば諦めを抱いてセシルは男達を濁った瞳に映している。
だが、予想に反して何も起きなかった。全身が温まるような感覚こそあるものの、何度も味わった焼け付くような発情とはほど遠い。男達も何も手を出してこない。彼等が命じたのはセシルに自慰をして快楽を得るようにということだけだった。セシルが困惑したように指を滑らせると、下卑た視線も共に動く。だが、それだけだ。
「んんっ……ん…………」
それでも陰茎は素直に勃ちあがり、先走りを流していく。無意識のうちに男達から与えられた快感がセシルの脳裏に浮かんだ。柔らかい肉に爪を立てる。左手で膨れた乳首を掻くように弄りながら、空いた右手で陰茎を強く扱いていった。
「ああっ、あ! ……っく、はぁ、はぁっ、んっううっ!」
そうしている内に心臓の鼓動のような疼きが躰を苛んでいく。それが薬効の力を借りたものではないことをセシルは理解し始めていた。やはり男の言葉は事実で、自身はどうしようもない淫乱に堕ち果てたのだと理性が僅かに嘆いたが、セシルの意識の大半はそれとは別のことで占められていた。
――足りない。男達の前に引きずり出されて、身を覆っていた服を取り払われて、薬まで注射されているのに、何も満足出来ない。絶頂に至ることすら出来ていないのだ。自慰を強制されているせいで、余計にこの二週間に感じた快楽の数々を思い出してしまう。あの強い快楽を、全てを吹き飛ばすような快楽を無意識のうちに求めていく。過剰なまでに歪まされた性欲で耐えられる筈もなかった。
「は…………ぁ……っ! あぁああぁっ! はぁっ、んっ、く……!」
全身を汗に塗れさせて、性感帯に手を這わせながらベッドの上で身をくねらせるセシルの姿はどうしようもなく淫らだった。カメラ越しに男達が垣間見た自慰とは全く異なる、羞恥など微塵も無い貪欲なまでに快楽だけを追い求める姿。首元、耳、胸、脇、腹、腰、陰茎と思いつく限りの場所に触れても疼きが増していくばかりで、求めているものは得られない。セシルは何度も男達を縋るように見つめた。意識が霞んでいく。少しでも気を抜けば泣きながら男達に助けを求めて叫びかねなかった。セシルは僅かに残っている理性を総動員してその渇望を抑えていた。最早そんなことは些細な差異に過ぎないが、彼にとっては重要なことだった。
「手伝ってあげようか?」
気がつくと医者が傍らに座り、セシルの頭を撫でていた。乱れた髪を耳にかけられる感触だけでも大げさに肩が震える。セシルはその手を払い除けることが出来なかった。医者はセシルが敢えて触れることを避けていた箇所に躊躇いなく指を押し込んだ。
「ゔうぅゔっ! あっあ゛あぁああああ゛あっ!」
滑った指で何度も内部を抉るように動かれて、漸くセシルは絶頂を迎える。ただ、それは沸き上がる発情を抑える方向には全く働かなかった。寧ろ疼きは更に増し、僅かながら残されていた理性も大きく削ぎ落とされていく。セシルの様子を見た医者はにやつきながら再び離れる。
セシルはそれに縋るように背を丸めた。
「どうして…………っどうして……こんな……ぁ……!」
「一応この薬は最初に使ったやつなんだけど、セシル君はもうこんなに軽いのじゃ効かないみたいだね」
医者は新しい注射を手に取ると、セシルの顔を覗き込んだ。限界まで潤んだ瞳からは涙が今にも零れ落ちそうだ。その濁った輝きには男達の姿だけが鏡のように映っている。
「強い薬欲しい? いつもみたいに全部で気持ちよくなってイキたい?」
「ううっ、ふっ、ゔ…………おねが、んん゛っ!」
最早耐えることなど出来なかった。それが出来る体力も、気力も、意志も全て奪われてしまっていた。今にも泣き出しそうな声で懇願しようとしたセシルの唇へと、医者は強引に口付けた。舌が幾度も絡まり、口蓋が舐められる度にくぐもった声が洩れる。男もセシルの側に近づき、その肢体に手を伸ばし始めると、喘ぎ声は更に大きくなった。
「やめっ、やめぇえ゛えぇえ゛っ! んんっ、お願い、しっああ♡ 頼みますからっ、もゔ……っああぁあ゛っ♡」
「何? 聞こえないよ。セシル君はどうしたいの? 言ってくれなきゃ分からないよ」
「あぁあああ゛っ♡ たすけ、でっ! もう……ん゛んっ♡ ワタシ、おかしく……っゔうっ♡ お……ねがいっ、し……いいい゛い♡」
セシルは足を限界まで開き、男達に肢体を余すところなく晒す。己を客観視する理性は全て蕩け落ちて本能のまま無様な懇願を叫び、男達によって奏でられる喘ぎ声がそれを掻き消していく。その度に被虐的な快感がセシルの心を犯していった。
「お願い……します……もう、ゆるし……て…………」
掠れきった声でセシルが懇願を終えた時には既に三時間もの時が流れていた。流された先走りで男達の指は酷くふやけている。男は錠剤を口に含むと、セシルに口付けをして薬を押し込み、医者は手にしていた注射液を何本もセシルに突き刺した。即効性の薬は体内で融け合い、唯でさえ狂った感覚を歪めていく。
「うあ゛ぁぁあああ゛ああぁあ゛ああぁあ゛♡♡♡」
医者の陰茎が挿入された瞬間、セシルは絶叫した。快楽に焼き切れた意識は最早何も考えられなかった。魂まで刻み込まれた快楽は躰を、心を、全てを蹂躙し、セシルという存在を征服していく。視界の片隅で男が映像や写真のデータを消去し、荷物のキャンセル処理をしていたが、今のセシルにとって何が行われているのか理解することも難しかった。
もう終わりなのだという開放感にも、安堵にも、絶望にも似た感情が彼の心を支配していた。