先に君を愛したなら
それは愛ではない
それからも男はセシルを絶え間なく抱いた。どれほど男に抱かれても、セシルの苦しみは増すばかりだった。
「は……ぁっ……あ、あああっ……」
重ねられた行為に肉体の痛みも次第に薄れ、快楽は多すぎるほどに与えられている。だが、それは肉体の反応に過ぎず、セシルの心は常に引き裂かれて、ボロボロになるほど傷ついていた。〝愛〟と称した苦しみを男から押しつけられ、理性を焼かれていくだけの拷問。それが男との交わりだった。
男がセシルの首筋へ得意げに口付ける。痕を付けて喜んでいるらしかった。だが、いずれ消える首筋の痕など、セシルにとってはどうでもよかった。されるがままになりながら、考えるのはただ一人のことだった。未だに部屋に流れる美しい旋律の数々は、セシルに遠くなった日々の情景を思い起こさせた。抱き留めてくれた体温も、柔らかな唇の感触も、将来を誓い合った言葉も、全て鮮明に思い出せる。だが、そうして過去の満ち足りた世界に触れる度に、残酷な現在が気が狂いそうな痛みを伴って胸を刺した。
「う゛うぅう……ぁ、ああ゛っ……ああああっ!」
悍ましい絶頂と共に、セシルの意識は男の元へと引きずり戻される。腹に散った白濁を男は誇らしげに眺めていた。
「仕込んでやった甲斐があったよ。彼女とのお遊びみたいなセックスより余程好いだろう?」
男の言葉に、セシルは首を振った。
「全てが違う……。こんな愛のない行為に意味などありません」
「私は君を愛している。ずっと言い続けているだろう」
「これは愛ではない。ただの醜い執着と所有欲です」
「あれだけ永遠の愛を彼女に誓っていた割に、愛とは何かよく分かっていないらしいな。君をこんなに愛して、楽しませているのだから、彼女より私との行為の方がずっと優れている。そうだろう?」
その言葉を聞いたセシルは深く息を吐くと、目を閉ざした。意思の疎通など到底望めない。そもそも男はセシルの意志など最初から問題にはしていないのだ。性根の歪みきった男はセシルの耳元で囁く。
「セシルは私に〝愛している〟と言ってくれたね。君も私を愛しているし、私も君を愛している。愛し合う者同士が交わっているんだ。何も違わないよ」
「違う! ……あれは違います」
「私も愛しているよ、セシル」
そう言うと男は再びセシルへと手を伸ばす。セシルは反射的に身を捩るが、それは男を煽るだけだ。
「んっ……はあ……ああっ、あああ……ぐ……!」
「そういえば最近は君に奉仕させるばかりだったね。もっと良がらせてあげようか」
それを聞いたセシルは思わず目を見開いた。今の状態でも理性が蕩けそうな快楽に炙られているというのに、更に上があるという事実を信じたくなかった。
男はその反応を味わうように笑いながら、腰の角度を変えて奥へと挿入した。その瞬間、セシルは大きく震えた。
「う゛わあぁあっ、あっ……い、やだ……っ……ああ、あっ、ぐ……あああっああ゛ああっ!」
迎えさせられた絶頂は射精を伴わず、直接セシルの脳裏を焼いていく。既に内部に挿入されて感じるようになっていたが、これまで体験させられてきた快楽とは段違いだった。
「かわいいね、もっと早くやってあげればよかったな」
「やだっ、いやだから……っう゛ううううぅ、い゛、やあぁあ! あ゛ああ、あっ、ぐ……ああぁぁああ゛あああっ!」
前立腺を突かれる度に、意識がチカチカと白む。叫びながら快楽を拒もうとするセシルを追い詰めるべく、男は執拗に同じ箇所を突いた。セシルが暴れないように、全身でのしかかってしっかりと押さえ込み、何度も奥を暴いていく。セシルは身動きも取れずに、快楽を受け止めることしか出来なかった。必死にシーツを掴んで耐えようとしても、その指を男は一つ一つ剥がして手を繋ぐ。だがセシルはそれを拒むことも出来ずに、寧ろ突かれる度に反射的に力が入って、男に深く指を絡ませてしまっていた。背徳感と快楽が溢れ、頭が可笑しくなりそうだった。
「こんなのっ嫌だ……あぁあああ゛! やめて! やめてと、言って……ぐ……うわあぁあ゛!」
何度目かの絶頂に叩き上げられ、セシルの心は絶望に押し潰されていく。男はその様を愛でながら優しく囁いた。
「『やめて』じゃないよね。やめて欲しい時はなんて言うんだっけ?」
そう言われた瞬間、セシルは思わず息を呑む。その瞳の中に宿る恐怖に、男はこれ以上ないほどの愉悦を得ていた。セシルは必死に唇を引き結び、耐えようとしていたが、男の技術の前では無理な話だった。口の端からは唾液が垂れ、部屋に流れる音楽をかき消さんばかりの嬌声が響く。耐えようとすればするほど、快楽はますます苛烈にセシルを追い詰めた。前立腺を突かれる度に、神経がぷつぷつと千切れるよう音が聞こえるようで、セシルは正気と狂気の境目に立たされていることを自覚する。
「これ以上続けたら君はどうなるだろうね」
他人事のように言いながら、男は再び腰を押し込んだ。たったそれだけの動きで、セシルは再び絶頂していた。感覚など完全に狂っていた。脳髄が快楽に焼かれ、理性や記憶が薄れてく。これ以上続けられたらどうなるか、一番恐れているのはセシルに他ならなかった。
もう一度男が腰を引いた瞬間、セシルは男の腕に縋り付いた。
「……愛してます、から、やめてください」
言葉にした瞬間、耐えがたい罪悪感がセシルを襲った。セシルの目に宿った輝きが濁り、体の力が抜けていく。
それとは対照的に、男は安堵したように笑うと、ゆっくりと陰茎を引き抜いた。それだけでセシルの体は余韻で震える。男はセシルの汗に濡れた髪を撫でると、私も愛してるよと呟いた。そして男は自身の衣服を着ると、音楽を止めて部屋を出た。照明も落とされ、静かな部屋にはセシルの荒い息だけが響いていた。
それからも何日も掛けて行為は重ねられた。男は快楽も暴力も使い、情け容赦なくセシルを追い詰める。いくらやめてほしいと懇願しても聞き入れられることはなかった。だが、愛しているとセシルが言うと、男は約束した通りすぐに行為をやめた。煙草の火をセシルに押しつけようとしていても、男が絶頂を迎えて内部に精液を吐き散らす直前でも、暗闇の中で大音量で曲を流していても、愛しているとさえ言えば責め苦は止まる。限界を迎えた末に選ばれた苦渋の決断だった。だが、例え偽りの告白でも、愛していると口にする度に、セシルは刃物を突き立てられるような罪悪感に苛まれた。
男から与えられる責め苦を止めなければ、セシルは間違いなく限界を迎えてしまうことは明らかだ。寧ろ男はそれを狙ってセシルを過剰に追い詰めている。セシルから愛の告白を引き出して精神的な自傷をさせるか、自らの手でセシルを壊すか、どちらにしても男にとっては甘美な遊戯だった。
また、部屋の鍵が閉められ、セシルは一人残される。暗い部屋の中で体を横たえながら、セシルは自己嫌悪に押し潰されていく。自分がどれほど罪深いことをしているのか、男以上にセシルは理解していた。愛しているという言葉の意味が、歪められ始めている。気力と体力は削り取られて、セシル自身も気付かないうちに、愛していると伝えるまでの時間を日ごとに短くしていた。
セシルは必死に過去の記憶を思い出して、この地獄に耐えようと試みた。だが、記憶の中の旋律には、同時に与えられた痺れるような快楽が呪いのように食い込んでいる。それをセシルは何よりも恐れた。
「ハルカ……」
名前を呼ぶ度に、美しい面影が思い浮かぶ。孤独の中で生きていたセシルに、愛を教えたのは他でもない春歌だった。彼女の瞳を覗き込む度、愛という言葉の意味をセシルは思い出すことが出来ていた。それこそが、永遠だとセシルは信じていた。
だが、今のセシルは疼く体を抱えながら、この牢獄に閉じ込められている。与えられる愛は、歪みきった男の執着ばかりだった。頭から足の先まで男に探られ、欲望を押しつけられる日々の中で、偽りの言葉を強制される度に、愛の意味はセシルの中で霧散していこうとしていた。
次で最後です。
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