たくさん愛してください

想い

 深い暗闇の中でセシルの意識は閉じ込められてからの日々を漂っていた。衣服を取り上げられ、必死に歩んできた生涯を否定されている光景。秘めていた大切な営みを嘲笑われ、殴られ、蹴られ、意識さえしていなかった初めてを奪われている光景。躰を卑猥に作り替えられ、男の望むように弄られている光景。行われた暴力の全てに少しでも抵抗の意を見せれば、更なる苛烈さで痛めつけられていた。  そんな地獄の最中で思い出すのはいつも同じ面影だ。今更顔など見たところで、どうしようもないことなど分かっていた。それよりも、こんな姿を他の誰よりも見られたくなかった。それでも全く異なる気持ちが自然と溢れ出していく。彼女の顔が見たい。透き通るような声が聞きたい。ほんの一瞬でも構わない。嘗てのように抱き留めてくれるのであれば、何でもするだろう。  だが、この世でただ一人に捧げていた筈の自分自身には、既に男の存在が逃れようもないほどに食い込んでいるのだった。  頬に衝撃を受け、セシルは目を開く。視線を動かすとシャワーを持った男がセシルを見下ろしていた。二人でいるのが精一杯なほど狭い浴室で、セシルは壁に寄りかかっているらしかった。 「……っ」  腰に残る鈍痛と全身の倦怠感にセシルは眉を顰めた。男はそんなセシルと目線を合わせると、頬を撫でている。 「大丈夫? 流石に疲れたね。ちょっと休ませてあげるね」 「…………ワタシに触らないで」  男の指先を見るセシルの顔からは血の気が失せていた。男の太い指が触れているだけで浮かぶのは恐怖心だけだった。その手から与えられる快楽も、痛みも、セシルにとっては既に深刻な心的外傷だった。 「声、掠れてるね。躰も汗だくだし、綺麗にしてあげるよ」 「嫌だ……離、せ……っ……」  不快さに声が上擦った。それでも未だ躰に纏わりつく呪いは身動きを封じ、男の手を払いのけることさえ許さない。後孔へと手が伸び指で押し広げられると、腸液と血が腿を伝ってタイルへと垂れた。剥がれ落ちた腸壁や消化不良の養分も床へ流れ、男はそれをシャワーで流していった。  セシルは男が導くままに横になる。疲れ切った躰に流れる温水の感覚はどうしても心地よさを伴った。最後に身を清めたのはいつだったか思い出すことも出来ない。忘れかけていた感覚に再びセシルの意識は朦朧としていった。 「まず中から洗うからね。一番汚いし」  男は瞼を閉じかけているセシルを労わるように、頭を撫でる。そのままシャワーのノズルを開いた後孔に密着させると水圧を最大にした。 「……う゛あっ!? あっあ、あ、ひいい゛いいぃっ!」  僅かに与えられた安息はすぐさま取り上げられた。無防備な精神状態のままで叩き落された地獄に、セシルは備えることも出来ず掠れ切った声で悲鳴を上げた。  本来入るべきではない場所を水が殴り、満ちていく。体内を水で満たされる思い出したくもない圧迫感。激流の重さが過敏な腸壁を掻き回していく。男はシャワーを止めると指を差し込み、ボロボロの腸壁を撫でた。その指先の動きに合わせて水が零れ落ちる。手付きはあくまで優しく丁寧なことがセシルの屈辱をより煽った。 「あっ、う゛……んっああぁ、はっ……ぁ」  そのまま薄汚れたタオルでカビの生えた石鹸を泡立てると、男はセシルに触れていく。膚を一筋撫でるだけで過敏な体は弾かれたように跳ねた。 「ほら、ただ洗ってあげてるだけなのに喘いじゃ意味ないよ。ちゃんと休まなきゃ」 「そんな……アナタが、変な触り方をするのがっ悪い!」 「ふ~ん、そうなんだ」  男に強弱を付けて膚を洗われると押し殺された嬌声が漏れた。触れられた余韻だけでセシルは荒い呼吸を繰り返す。首筋を撫で下り、痛々しく充血している乳頭を連続で擦るとセシルは目を見開いて悲鳴を上げた。男の嘲笑とセシルの嬌声が狭い浴室に反響する。 「あれ、まだ下は触ってもないのに、もう立派に勃ってるじゃん。こんな状況で興奮してるのかな?」 「違う……!」 「そんなこと言ってガマン汁まで垂らしてるし、この可愛い所も綺麗に洗わなくちゃね」  そう言うと男は荒い網目のタオルでセシルの陰茎を包み込んだ。縮小した陰茎は精一杯勃起しても男の片手に容易に収まる程度のものでしかない。セシルの上気した頬には冷汗が伝っていった。性感帯ではなかったような膚や部位でさえ、あれほど感じてしまうようになっているのに、異常な感度に作り替えられた場所全体を扱かれる快楽など想像もしたくない。 「情けなくて恥ずかしいね。扱くっていうより優しく撫でなきゃいけないから気を付けないと。それにしても立派なクリトリス付けてもらって良かったねぇ」  男が陰嚢や下腹を焦らすように撫でると、熱い先走りが広がっていく。そのまま裏筋を伝って上り、余っている皮を揉み込むと、セシルは目を見開き、肩を震わせた。それでもセシルは僅かな意地を振り絞り、襲う激感に耐えている。だがその努力は自身の首を絞める結果にしかならなかった。 「折角拭いたのに全然綺麗にならないよ? セシル君はもっと洗われたいんだね」 「そうじゃない! 嫌っだ、やめて!」  男は鈴口にタオルを押し付けると、陰茎全体まで強く擦り上げた。無理に我慢しただけその感覚はより強く脳にまで届く。 「ひぎゃあ゛ああぁああ゛あぁあ゛あ゛あっ!」  セシルは背を反らせ、自身を襲う絶頂感に浸っていた。掠れ切った悲鳴はより強く男の劣情を煽る。皮の隙間から弱々しく精液が零れた。陰茎全体が火傷したかのような熱に、セシルは荒い息を零す。だが男はセシルにそのまま余韻を味合せるつもりなどない。そのまま無理矢理に皮を剥くと亀頭の裏を強く扱き上げた。 「いだっ、う゛うっあ゛ぁあ゛あぁあ! やめえ゛っ! んえ゛っ、やめでくださ、ひぎぃっ! これ以上ざれたらっおかしく、なっああ゛っああ゛ぁあ!」 「あっ、無駄に皮が長いからチンカスまで溜まってるじゃん。汚いなぁ」 「ぎゃあ゛ぁああ゛あぁああっ! うお゛っ、があっ! しぬ、いやだっ、死にたくなっい゛、ああぁあ゛ああぁああ!」 「はいはい。イキ過ぎで普通の人間は死なないから落ち着きなよ。ああでもイキ過ぎで殺された皇子様って馬鹿でいいかもなぁ。セシル君の末路としては結構笑えるね」  男はセシルの痴態を嘲笑いながら途切れることなく彼を洗っていた。石鹸と精液が潤滑油の代わりになり、絶頂に押し上げられるまでの時間は異常なまでに短くなっている。  行き過ぎた快楽は苦痛と何一つ変わらない。下腹部に渦巻く熱に焼かれながら、脳裏が何度も白んだ。泣いても喚いても止めてもらえない一方的な暴力。この行為が拷問ならば降参さえすれば終わる。だがセシルに襲い掛かる苦しみは男が飽きるまで続けられるのだ。一際大きい水音が響き、股から透明な体液が滴る。精液を出し切り、最早痛みに近い感覚に苛まれる中で噴き出した絶頂の証だった。 「……ぁ……う゛……あ゛ああぁあ゛ああぁあ゛あぁああ!」 「うわっ潮まで噴いてる。クリで女の子イキよっぽど気持ちよかったんだね……嬉しいなぁ……」  射精とはまた違う感覚が快感として刻み込まれる。拒否の言葉さえ発せずにセシルはその激感に打ちのめされていた。全身の力が抜けていく。情けない水音が流れ、失禁したらしいと男の怒号から自覚した所でセシルの意識は途切れた。 「なに暢気に寝てるの? 『起きてよ』」 「は……ぁ……あっ…………」  だが男はそのような逃げ道さえ、追い詰められたセシルに用意しなかった。大きく胸を上下させてセシルは必死に息を繋いでいる。  真っ赤に上気し、精液や涙、汗、潮とあらゆる体液に塗れた躰。暴行を受けた際に流れる血を、そのまま置き換えたような姿。それはどれほど凄惨な責めを男から受けていたか何より雄弁に語っていた。 「セシル君ってこんな浅ましい本性隠してアイドルしてたんだね。ねぇ、僕それにずっと騙されてたんだよ? 可哀想だと思わないの? そもそも君がこんなド変態だったこと春歌ちゃんは知ってるのかな。もしそうならきっと嫌われちゃうんじゃない?」  これほどまでにセシルを追い詰め、尊厳を打ち砕いたことに歓喜しながら、男はセシルの顔を覗き込んだ。その表情に浮かんでいるのは時折浮かんでいた恐怖か憎しみか、それとも完全に壊れたものかもしれないと想像しながら。 「……アナタは可哀想です」  だが、男を見つめ返すセシルはただ平静だった。振り切れた悲しみ、そして未だ折れない輝きが滲むその表情に男は少なからず驚愕した。 「へぇ……。何で?」 「ずっと……考えていました。愛し合うための、行為を……こんな形でしか遂げられないアナタを。確かにワタシはアナタには酷いことを沢山されてしまった。……絶対に許さない。でも、こんなことを幾らしても、ワタシには何の意味もありません」  囁くような掠れ声で語られる内容は男の感情を震わせていく。常人であれば既に壊れている状況で幾ら苦しんでも誇りを保ち、凛として此方に向き合い輝く精神。  そこには未だセシルを支え続けているものが何より強く透けて見えた。 「……それでも、僕だけは愛してあげるんだよ」 「ワタシとアナタに愛なんてありません」  震える声で呟く男の言葉を、セシルははっきりと拒絶した。幾日もかけた凌辱はセシルの気力と体力を削り落とし、何もかも穢しつくした筈だった。それでも、彼の芯を折ることだけは出来なかった。  それほどまでにセシルが正気にしがみ付き、戻ろうとしている場所。それが何処かなど男は誰よりも理解していた。衝動に突き動かされ、男はセシルを抱きしめる。自身を救い、地獄に突き落とした青年が何より愛しくて何よりも憎かった。 「セシル君は意味がないって言うけど僕には意味があるんだよ。セシル君にとっての意味なんでどうでもいい。僕はもうお前の全部を手に入れることしか救われないんだよ……何で……どうして分かってくれないんだよ……」  セシルの肩に縋ると男はしゃくりあげた。だがセシルは吐露された男の執着心に対して眉一つ動かすことはない。男に対してセシルが抱く感情は哀れみと軽蔑だけだった。どれほど男が喚こうと、セシルの想いは唯一人に在った。 「……そういや折角セシル君に逢えたのにまだ一回も聞いたことなかったよね、生歌」  だからこそ、男の漏らした言葉でセシルは全てを察した。これまでのどんな凌辱や暴力よりも強い嫌悪が胸を抉る。 「僕だけの為に歌ってよ。セシル君」 「嫌です」  間髪入れずにセシルはそれを拒否した。いつか必ず言われるだろうと予測していた要求だった。それでも男の願いを耳に入れただけで、全身の膚が泡立つほどの不快感が走り抜ける。セシルの全ての支えであり、自らの根幹である歌の数々。それら想いの結晶を男に晒して穢すなど、行うと仮定することさえあり得なかった。  セシルの拒否に恐らく男は逆上するだろう。これから自分に降りかかる男の責めがどれほど苦痛を伴うものか全く予想できなかった。だが、それだけは拒絶するという意志を持ってセシルは男を睨みつけた。 「そうか、そうだよね。じゃあいいよ」  しかし男は鼻を啜ると、床に散らばっていた衣服を身に着け始めた。拍子抜けするほどにあっさりと身を引いた男をセシルは訝しげに眺める。遂に諦めたのだろうか、とセシルが思いかけた瞬間、男はゆっくりと口を開いた。 「……今から君の事務所に行って、セシル君のお友達に春歌ちゃんを輪姦させるね。その方が多分ずっと楽しそうだし。それからセシル君さ、さっき意味だの愛だの無いって言ったけど、それは君に春歌ちゃんがいるからだよね? じゃあさ、今すぐ本人に僕とセシル君とどっちが好きかって確かめるのもいいんじゃない? 抱き合いっことかしてみようよ。どっちのチンポで春歌ちゃんは感じてくれるだろうね。でもさぁ、勝負は分かり切ってるよ。僕の力なら余裕だと思うな。それにしても可愛いよね、あの子。きっといい肉便器になれるよ」  悍ましい内容を男が口にするにつれて、セシルの表情からは見る間に血の気が失せていく。唇が震え、怒りと憎悪、そしてこの男ならやりかねないという確信が彼の心を貫いた。震える手でセシルは眼前の男の足を掴む。 「今すぐ発言を取り消してください! それだけは絶対に許しません!」 「嫌ならやりなよ、ほら」 「……っ」 「話にならないね」  僅かに躊躇ったセシルを見ると、男は彼を邪険に払い除けた。やはり相手は本気だ。そう確信したセシルは今にも靴を履こうとしている男に縋り付いた。だが、今となってはセシルと男の差は圧倒的だった。弱らされ、抵抗できないように男の力で雁字搦めに縛られている今のセシルでは、何の障害にもならない。彼に残された選択肢は一つだった。 「お願いですからやめて下さい!」  男の目線が自分に向いた瞬間、セシルは自ら手足を折り畳み、床に頭を擦り付けた。それがどれほど無様な姿なのかなど、彼にとってはどうでもよかった。男はその姿に苦虫を噛み潰したような顔で視線を向けた。 「……そのまま後ろ向け」  背後で新しく避妊具の袋が破かれる音がするだけで、セシルの肩は僅かに震える。俯いたその表情は男からは窺い知れなかった。先ほどまで解されていた後孔は、容易に亀頭を飲み込んでいく。 「ふぅう……う゛……っ!」 「じゃあ歌ってよ。君達で作った曲、全部ね」 「……はい」  セシルは息を深く吸うと、最初の一節を歌い始める。  男は今にも叫び出しそうな興奮を抑えながら、その歌声に必死で耳を傾けた。衰弱していても理解出来る多くの人間を魅了してきた才能、僅かな空気の震えさえも胸にまで響く。別世界に連れていかれるような神秘的な甘い歌声。初めて見た時と変わらない、焦がれ続けた存在を男は手中に収めていた。これは全て男の為に紡がれている――。  違う。男の眼前に、何度思い返したか分からない光景が蘇る。未だにセシルを守り、セシルが守ろうとしている存在が男の冷静さを奪った。たまらず細腰を掴むと、男は自身を深く突き入れた。途端に歌声が耳慣れてしまった嬌声へと変わる。下腹を強く突かれるだけでセシルは床に伏せ、荒い息を漏らした。それでも尚、旋律を紡ごうと口を開いても、前立腺を狙われると途端に歌声は嬌声へと変貌した。 「喘いでないで頑張りなよ。一応プロでしょ?」  内心の興奮を押し殺した男の言葉にセシルは身を固くする。その冷え切った声はいつでもセシルを捨てて外へと向かおうとする意思を明確に表していたからだ。 「今迄で一番良く締まってるんだけど、興奮してるの?」 「違う……違います……やめてっ! お願いです! ちゃんと歌えますから、ぁあっあああぁあ゛ああぁ!」  必死に首を振り何とか音を紡ごうとしても、その努力は再び簡単に塗り替えられる。最早個人の精神力で制御出来る域を超えてセシルの感覚は狂わされていた。  常人であれば既に理性を捨てて快楽に耽溺している状態で、セシルが正気を保ち男に相対しているだけでも奇跡的と言えた。だからこそ、そのような状況下で歌いきるなどあまりに無謀な要求だった。  しかしそれを知るのは男だけだ。次第にセシルは焦燥感と自身への失望に苛まれていく。 「ねぇ、まだAメロも終わってないよ? それともセシル君は春歌ちゃんが作ってくれた歌よりも、僕に犯されてアンアン喘いでる方が好きになっちゃったのかな?」 「そんなっこと……ぉ……んん゛っ! ……はぁっ、はっ……はあ゛あぁあ゛あっ!」 「それならちゃんと歌いなよ」 「ひぃっ! ……とっ……のお゛ぉ、ぎうう゛っ! あっあ゛ぁ! あっう、あ……あはぁあああぁあ゛!」 「何の曲かも分かんないよ。ほら、もう一回最初から」  こうして自分で自分達の喜びを穢していくことが何よりも苦痛だった。一層強く貫かれ、セシルは腰を折って吐精した。それでも彼は散っていく理性を掻き集め、嬌声を歌声へと半狂乱になりながら引き戻そうとしていた。その行為の無様さまで含めて男の慰みものになっていることなどセシルは嫌でも解っていた。しかし僅かでも男の関心を自分に向けさせることが今のセシルが出来る唯一のことだった。  何日か、何週間か、少し前には考えもしなかった地獄の最中で、想いを伝えあった時だけが鮮明に蘇る。自分を信じ、他人から向けられる愛を教えてくれた存在。世界で一番愛おしい人。初めての温もりは何度もセシルの命を繋いでいた。全身が震え、男からの嘲笑と共に自身の精液が床へと垂れる。必死に紡いだ想いや決意さえも取り上げられ、跡形もなく壊されているような気がした。だがそれは誰でもない自分が招いた結果だった。快楽に敗北し嬌声を響かせる度、男は咎めるように何度もセシルの背を殴る。  だがそんなことに何の痛みも感じないほど、作り上げた愛の証を生臭い汚液で穢すことが何よりも辛かった。何曲も、何曲も、幾ら繰り返しても変貌した躰は最後までまともに歌うことを許してはくれなかった。それはもう戻れないと突きつけられているも同然だ。自分が如何に汚らしく堕ちたかを実感させられる、惨めな舞台が此処だった。  それでも男も満たされることはなかった。新曲が出る度にクレジットされていた作曲家の名前が、何を歌わせても脳裏を過ぎる。どれほど傷つけ躰を暴こうと蘇るあの舞台裏の光景。セシルから漏れる歌声と嬌声が入り混じった悲鳴は、これまでのどんな責め苦でも引き出せなかったほどに悲痛だった。ここまでしても守ろうとしている存在がセシルにはいる。  仕事、居場所、歌、音楽――確かにセシルが何より愛している大切なものを今、男は踏み躙っていた。だが、それに何の意味があるというのだろうか。寧ろ穢せば穢すほどに見たくもない現実が男の目を焼いていく。  結局、幾ら罵り、暴力を振るい、躰を暴こうとセシルの精神的な支柱には男は爪痕一つ残すことも出来なかった。所詮男はセシルにとってその程度の有象無象に過ぎない。  男は必死に自身が変貌させたセシルの躰を貪る。それでもセシルを手折ることが出来ないのならば、男が積み上げてきた僅かな優越感も征服感も全て虚像に過ぎないのだ。  セシルを根本から折り、自分だけのものにするなど最初から不可能だった。ならば男に出来ることはセシルを所有し、弄り、追い詰め、永遠に閉じ込めておくことだけだ。例えセシルの眼差しが男に決して向けられないとしても。 「きっとセシル君なら分かってくれるって信じてたのに……君だけは今までごめんねって言って僕の方を見てくれると思ってたんだよ……。それでも結局こうなっちゃうんだね。心から残念だよ。本当はセシル君から言ってほしかったけど、もう僕から言うね」  男は腰を止めると、セシルを仰向けに横たわらせた。光を殆ど失った目が男の醜い笑みを映した。 『これから僕と人生を歩んでください』
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