そして光は灯された
奈落
最近、穏やかに過ごせる日が増えた。前はセシルを幾ら組み敷いても劣等感が抜けることはなかった。それはあいつが練習を通じて、アイドルとしての自分を取り戻していることが大きかった。だが、監禁が長期化するにつれて、セシルの体力は目に見えて落ちた。躰はふらつき、声を出しても咳き込む。途中で座り込んだまま動かない時もある。どれだけ強い意志を持っていようが、躰がそれについていかないのだ。
当たり前だ。俺はセシルにまともな食事も、安らかな休息も与えていない。練習時間以外全てを俺に捧げさせているのだ。寧ろまともな練習をしていた時期の方が異常だった。
またセシルが目の前で倒れた。もう体幹を維持することが出来ていない。セシル自身も分かっているだろう。その姿を見て俺は漸く安心出来た。セシルは所詮ただの人間に過ぎないという事実が証明されていく。
「どうした、今日はもう終わりなのか?」
あえてとぼけた顔をして、横たわったセシルの顔を覗き込んだ。虚ろな瞳が俺を映している。肉が落ちて薄くなった胸が弱々しく上下していた。そんな姿を見ていると欲情にも似た暗い興奮が湧き上がるのを感じた。
「切り上げるってなら、また相手してくれよ……」
そう言いながら手を差し伸べると、粗雑に払いのけられた。
「まだ終わっていません。……まだ」
セシルはゆっくりと起き上がると、開いていた資料に何かを書き込んでいる。書いているのは、演出プランの一種だろうとペンの動きで察しが付いた。これほど追い込んでもセシルは自分が出来ることを見つけようと足掻いている。俺に抱かれる時間を恐れているのもあるが、前にも零していたように本当に諦めるつもりがないんだろう。それだけ高い志があるからこそ、何度も足を踏み外して枯れた喉を震わせる光景が愉快だった。理想と現実は残酷なほど乖離している。もう既にセシルの練習風景に、あいつのステージの面影はなかった。
そしてそれはセシルも痛いほど理解していたらしい。ある時目を覚ましたら、セシルが部屋から逃げだそうとしたことがあった。
普段なら俺が眠る時は必ずあいつを拘束するようにしていたが、その時はちょうど練習中で俺は油断して居眠りをしてしまった。気がついた時には既にセシルは玄関にいて、ドアのチェーンを外しかけていたところだった。それを見た瞬間、視界が白んだ。あいつは俺と交わした契約すら破って逃げだそうとしている。それは俺を軽視したということに他ならない。怒りに任せて躰が動いた。ドアノブに手をかけようとしている手首を掴み、自分でも訳が分からない罵声を吐きながら部屋の廊下へと突き飛ばした。その間もセシルは案外はっきりと俺を見据えていて、逃げ切れなかったことに対する悔しさだけを抱いているように見えた。
そんな態度が俺を余計に苛つかせたことは言うまでもない。俺はあいつの練習着の襟首を掴むと、その顔に拳を振り下ろした。
俺に従うって言っただろうが、姑息な真似しやがって、この詐欺師野郎、そんなことを口走りながらセシルの整った顔を殴る度に固い骨の感触がした。セシルは抵抗しなかった。謝れと俺が怒鳴ると、か細い声で謝罪の言葉を吐いた。あいつの態度は冷静だった。逃げだそうとしたのも、この状況下を恐れる人間の本能というよりも、もっと大きなものの為だろうと俺はなんとなく理解していた。
だが、俺がセシルを許せるかというのは全く別の話だ。寧ろ俺は最近忘れかけていたセシルへの劣等感と苛立ちが何倍にも膨れて溢れ出すのを感じていた。それはまだセシルが自分の未来を諦めていないからでもあったし、俺と交わした契約をその為に踏みにじったからでもあった。それは俺を軽視することと同じだ。
「さっきから気持ちが籠もってねえな。お前そんなに演技は上手い方じゃないからな」
「……すみません」
セシルはまた感情のない声で謝った。既にセシルは俺に対して完全に心を閉ざしている。そんな被害者面も俺を苛つかせた。
「じゃあ俺はお前のレイプ映像公開させてもらうから」
「それは……っ!」
「最初に契約破ったのはお前だろ」
顔を上げたセシルの視線はすぐに下がった。しつこく食い下がる真似はしなかった。逃げようとした時点でこの程度の報復は覚悟していたのだろう。
だが俺はこの契約があるからこそ、セシルを従わせることが出来ていると分かっている。それに俺は契約を破棄するような人間とは違う。映っているのがセシルだと分からないように映像へ加工を施すと、ネットの適当なエロ掲示板に投稿した。
セシルに画面を見せてやると、映像に施された加工を見てセシルは露骨に安心したような顔をしていた。だが、その直後にあいつの顔からは血の気が引いていった。
俺が公開した動画には瞬く間に変態共のコメントがついていた。セシルを踏みにじり傷つけた行為の数々が、到底口に出せないような卑猥な言葉で消費されていく。犯されているセシルへの罵る奴や、映像が表示された画面に射精した写真を投稿する奴もいた。
セシルは静かに視線を落としたが、俺はすぐに後ろ髪を引いて画面を見せつけた。
「何傷ついてんだよ。アイドルの仕事だって似たようなもんだろ」
「それはアナタがそうだっただけでしょう」
咄嗟に俺はセシルの頬を張った。セシルの顔色は相変わらず悪かったし、手も震えている。だが俺を見る目は冷たかった。
「他人の欲を煽ってちやほやしてもらうんだ。そこに何の違いもないだろうが!」
俺がそう怒鳴りつけてもセシルは静かに首を振るだけだった。そして未だに映像の話題で盛り上がる掲示板を眺めていた。その顔には歪な痣が浮かび始めている。
セシルの顔の腫れは落ち着くまで五日ほどかかった。あれから俺は練習の時間はドアの前から離れなかったし、セシルももう逃げだそうとはしなかった。
残された時間は少ない。あれから俺は必死になって毎日セシルを犯した。苦痛も快楽もセシルを容赦なく引き裂いていった。抱き寄せる度に、セシルは俺を拒絶した。最近ではまともに声も耐えられなくなっている。後孔でイキこそしないものの、扱かれて無様に射精するなんて日常茶飯事だ。
「う゛わぁああぁあ゛あぁっ! ああ゛っ♡ っうう、は、あ゛あぁあ!」
そして今日もセシルは俺の下で喘いでいる。脱がせた練習着が散乱している床に横たわったまま、快楽を押しつけられている。また精液が飛び散って、あいつは自分の膚を穢していた。俺の手にも薄い精液が飛散している。顔の前でその手をふってやると、セシルは嫌そうに目を逸らした。だが、まだセシルの陰茎はしっかり芯を保っていたし、内部は柔らかく俺を包み込んでいる。滑稽だった。
「お前、自分が今どんな顔してるのか分かってんのかよ」
セシルが何か答える前に、俺はあいつの頭を押さえ込んで練習用に取り付けられていた鏡へと顔を向けさせた。そこには中年に差し掛かった男に組み敷かれている愛島セシルが映っている。明らかに悲惨な情景だ。髪の毛や膚には艶がなくなりつつあるし、目の下には濃い隈まで出来ている。明らかに痩せてやつれた表情は今にも絶望に打ちひしがれそうだった。
だがセシルを恐怖のどん底に突き落としたのは、そんなことじゃなかった。紅潮した頬を伝う汗、荒い息、潤んだ瞳――そこには情欲が確かに存在していた。
「何故……」
「なんでってお前、こんなに興奮しておいてそれはねえだろ」
嘲笑いながらまた陰茎に触れると、セシルは強く目を閉じた。そのまま扱くと俯いてしまったが、その口からは快楽を滲ませた呻き声が溢れる。こうやってセシルの反応を手中に収める瞬間が、一番征服欲を煽られた。セシルは与えられる快楽を必死に拒み続けていたが、歪められた情欲がそれを悦んでいるのは明らかだった。
だが、俺はどうしてもセシルを完全には屈服させられないような気がしていた。髪を掴んで顔を上げさせると、潤んだ瞳が俺を映す。怒りと情欲、絶望、それらが混ざり合って、最終的に一つの意志に塗り潰される。耐え抜こうとする強い決意があいつの中にはまだ生きていた。暗い部屋で黄緑の瞳が輝く。その光から目が離せなくて、だからこそ憎かった。
止めていた腰を動かして、より深く内部を抉る。苦痛で再び閉じられた瞼を見て、俺は漸く安心した。セシルの意志を力で支配しているうちは惨めな気持ちを味合わずに済む。セシルが耐え抜こうとすればするほど、俺からのセシルに対する仕打ちは苛烈さを増した。
最早ベッドに横たわっている〝それ〟が愛島セシルだったなんて、言われなければ誰も分からないだろう。布切れ一枚身につけない裸のままで、右足首にだけ鎖の付いた枷が嵌められている。弱りきった躰にもう厳重な拘束は必要なかった。
だが家畜以下の暮らしの中で、セシルはまだ生きていた。どれだけ表面を穢しても、あいつの心は強く奮い立つ。体力を温存したいのか、耐えきれずにあげる悲鳴以外は声を出すこともしないし、暴れることもしなかったが、あいつの目は爛々と光っていた。その瞳には自分を襲った理不尽に対する怒りと、そんな形でしか繋がれなかった俺への哀れみが宿っていた。