そして光は灯された
日の当たらない場所で
喧しいアラームが鳴り響く。慌てて飛び起きると見覚えの無い鞄からその音は鳴っていた。
手を突っ込んで携帯を取り出し、設定されていた目覚ましを切る。画面は朝の四時を示していた。セシルが目覚ましを掛けていたのかとこの時初めて気づいた。
ベッドを確認すると、セシルはまだ寝息を立てている。
「随分呑気なもんだな。おい」
肩を掴んで乱雑に揺すってやると、セシルは呻きながら目を覚ました。目の焦点が合っていない。
「やめてください……気持ち悪、い……」
更に強く躰を揺すってやると、セシルは今にも吐きそうな顔をしていた。疲れや薬の効果がまだ残っているのだろう。躰を揺らされる度に頭を殴られるような衝撃が襲っているに違いない。
「そもそも俺はお前が掛けてた目覚ましに起こされたんだよ。今何時だと思ってんだ馬鹿が」
「朝……? ッ!? もう朝ですか?」
大仰な音を立てて鎖が鳴る。完全に意識を取り戻したらしい。そして自分がどこにいるのかもセシルは理解したらしかった。
「そんなに慌ててどうしたんだよ。収録でもあったのか?」
「そうです! 行かせてください。今ならまだ間に合います」
「駄目に決まってんだろ」
「今回のことなら誰にもいいません。お願いします」
「答えは変わらない」
「何故……!」
悔しげに目を伏せるセシルを無視して、俺はあいつの鞄を手に取り、中身を漁り始めた。複数の台本、ファイルにまとめられた楽譜、小型のオーディオプレイヤー、日本語の辞書……それらを雑に放り出し、薄緑色の手帳を引っ掴んだ。異国の言葉と日本語が入り交じるページを捲り、今日の日付を探す。そこには早朝から音楽番組収録の予定が書かれていた。
「朝から仕事か、人気者は辛いな」
「勝手に見ないでください!」
「へぇ、新曲披露だなんて豪勢なこった。この曲が例のライブのメインになるのか?」
「そうです。だからとても大切な仕事です」
「披露出来なくて残念だったな」
本当にどうにもならないと理解したのか、セシルは唇を引き結んで黙り込んだ。懸命な判断だ。これ以上口を開かれてたら俺も何をしていたか分からない。
手帳のページを捲ると、分単位でびっしりと埋められたスケジュールが見えた。セシルの立場を考えれば当然のことだが、それでも俺を苛つかせる。何より嫌だったのは、無数の構想やメモが予定と同じくらい書き込まれていたことだ。一つ一つの仕事に対して求められていることへの考察、事前知識や関連用語で埋められたページはセシルの血が滲むような努力の証だ。だが、もう何の意味も無いことだ。どれだけ努力をしていようが、それが活かされることはない。
俺が手帳を見ている間、セシルはもがき続けていた。無理に暴れたせいかその手首からは血が流れ始めている。俺は手帳を机に放り投げると、セシルに覆い被さった。きつく目を閉じた横顔に、俺は冷酷に囁いた。
「今日は十四時から練習だろ。それまでは楽しませてもらうぞ、約束だからな」
「……っはい」
膚に手を這わせても、セシルの態度は頑ななままだった。内心を俺に悟らせたくないのか、目を閉じている他は抵抗らしいものは見られなかったが、血の気が失せた顔色があいつが感じている恐怖をはっきりと伝えていた。
「いい気味だ。気持ちいいか? おい」
「…………」
セシルは俺の呼びかけには答えずに黙ったままだ。セシルが快感を得ていないのは分かりきっている。ただ、あいつが恐怖に苛まれているのを確認したいだけだ。
そもそもセシルが快楽を得るかどうかなんて、どうでもいい。俺はあいつに性欲を向けている訳でもない。抱くのは単にセシルを深く傷つける為の手段に過ぎない。
暴力を振るって、セシルの外見を必要以上に歪めたくはなかった。アイドルとして価値があるままの、〝愛島セシル〟を俺は傷つけて人前に出られなくしたかった。
そして俺が性的な手法を選んだのにはもう一つ理由がある。
俺がセシルへと口付けしようとした時、初めてセシルは首を振って行為を拒んだ。
「おっと、随分嫌がるじゃねえかよ」
「当たり前です。愛してもいない人とこんなことはしたくない」
「へえ……じゃあ、あの作曲家ならいいのかよ」
俺がそう言った瞬間、セシルは明らかに身を固くした。本当に分かりやすい奴だ。
「彼女はただのパートナーです」
「見え透いた嘘はやめておけよ。これ見よがしに何度もイチャついてただろうが」
「そんなことは……っ!」
セシルがこれ以上言葉を紡ぐ前に、俺はあいつの頭を押さえ込み強引に口付けた。セシルとパートナーの作曲家が恋人同士だったことは、事務所の一部では公然の秘密だったらしい。セシルの腕に鳥肌が立っていくのが見えた。ただ粘膜が触れ合うだけの行為にこいつは何を夢見ているのだろう。セシルの口に指を押し込み、暖かな口内を蹂躙していく。
「お前の携帯に彼女から何件も着信入ってたぞ」
そう伝えると、セシルは俺の指に強く噛みついた。緑の目が俺を強く睨んでいたが、そんな反応は、恋人がいたという事実の裏付けに過ぎない。
「恋愛禁止なんて笑っちまうよな。ここまでおおっぴらに破っても許されるんだから、人気ってやつは偉大だよ。俺にみたいに馬鹿正直に規則守ってた奴でも、売れなかったら後生大事に従ってた規則に従って捨てられるんだ」
口内に押し込んでいた指を引き抜くと、セシルの歯形がはっきりと付いていた。ところどころ血まで滲んでいる。それはセシルが俺に向け始めている負の感情そのもののようで、なんだか胸がスッとした。
そのままあいつの躰を腕に抱こうとして、その堅さに笑ってしまった。腕の中にあるのは明らかに男の躰だった。愛される為ではない、愛する為の躰だ。それを俺が全て穢していく。「これまでの甘~い生活にサヨナラしとけ、よっ!」
「ぎっ……い゛い…………!」
前戯も潤滑油も無しに陰茎を挿入すると、セシルは必死に悲鳴を抑えていた。昨日犯したおかげで先端はギリギリ収まったものの、締め付けがキツすぎてろくに動かせない。
「おねがぃ、し……すこし……まって、あ゛ああぁっ!」
懇願を無視して腰を動かすと、辺りには血の臭いが漂い始めた。セシルは脂汗を流しながら唇を噛みしめて苦痛に耐えていた。堅い肉を強引に抉る度に、暴れる手足を縛る手錠が鳴る。当然あいつの陰茎も萎えたままで、俺が奥を突く度に力なく揺れていた。
俺が感じているのはそれとは正反対の快楽だった。圧倒的に俺より優れていた存在へ、マウントが取れるという状況はそれだけで絶頂しそうなほどの悦楽だ。腰を強く掴み、拒むような締め付けを感じる度に、洩れる呻き声。普段うかべている笑みとはまるで違う、苦痛に歪んだ顔。溢れる血の感触。一つ一つがセシルを貶めている証明で、これ以上ない興奮だった。
「可哀想に。今日の仕事が終わったら彼女ちゃんとお家デートだったんだろ?」
「……っ!」
手帳の予定を言ってやるだけで、セシルは顔色を変えて俺を睨んだ。
「ハルカは……アナタに関係ない……っ!」
「家で散々ヤるつもりだったんだろ? 他の男と浮気してても彼女ちゃんは許してくれるのか?」
僅かな沈黙が流れた。セシルは本当に理解出来ないと言いたげに二三度瞬きをすると、静かに口を開いた。
「許すも何もありません。この行為は暴力でしかないのだから」
静まりかえっていた部屋に俺の笑い声だけが響いた。
「お前、愛とか恋とか本気で信じてるタイプだったのか」
俺が再び奥を強く突くと、セシルは痛みに悲鳴をあげた。汗に塗れた躰が眼下で悶えている。この行為を暴力だと言おうが、セシルが過去に経験しただろう〝愛〟に溢れた全てを俺は今踏みにじっている。絶対に忘れられないトラウマを刻み込んでやる。
「二度と誰かを愛せないようにしてやるよ」
「う゛っ……ぐ……アナタを、軽蔑しま、す……あ゛あぁっ!」
血液の新しい染みがシーツに広がり始めた。陰茎を突き立てる度にセシルは低く唸っている。声を抑えられないのだろう。縛り上げられて動けないその躰を押さえつけて、何度も肉を抉る。
「ああっあ゛! い゛だ……ぃい、っう゛うわぁあ゛あぁ!」
傷になっている部分を強く擦るとセシルの悲鳴は大きくなった。その度に内部が俺を強く締め付ける。気を抜くと達しそうになるほどの快感だった。
そして俺がどれほど快楽を貪ろうと、セシルは微塵も快楽を感じることはない。あいつは今、悲鳴をあげて悶え苦しむことしか出来ないのだ。その様子を見るだけで征服感が狂おしいほどに満たされる。アイドルとしてセシルに勝つことは出来なくても、この瞬間は俺がセシルを支配しているんだ。達成感に酔いしれながら俺は何度もセシルの内部に射精した。
何時間そうしていたのかはよく覚えていないが、何度目かの射精をした後に俺は漸く陰茎を引き抜いた。血と精液の混合液が褐色の膚を穢していく。
「あ゛…………」
すっかり濁った瞳が俺を映していた。気絶こそしていないものの、セシルの意識は混濁しているらしい。汗だくの躰がやけに熱かった。
「おい、起きろよ」
二三度、強く頬を叩くとセシルの目の焦点が合った。小さく咳をしながら躰を丸めようとして、あいつは自分が拘束されていることを思い出したらしい。血が滲む手足を投げ出したまま、荒い息を吐いていた。
「女にされた気分がどうだ?」
「…………」
セシルは何も答えずに黙って俺を見つめていた。ただ、俺を哀れむような目だった。視線が合った瞬間、俺は咄嗟にセシルの頬を叩いた。ここまで痛めつけても、まだ俺を哀れむ姿勢にこれ以上ない程苛ついた。もっと、セシルを傷つけたかった。
もう一度抱いて立場を分からせてもいいが、流石にそんな体力は俺にも残されていない。それでも問題はない。セシルを痛めつける方法は何も抱くばかりではないのだから。
「そういやお前、さっき俺のこと噛んだよな」
「はい。……すみません」
口付けを強要した時に噛まれた指を見せると、セシルは案外素直に謝った。下手に抵抗しても意味がないと分かっているのだろう。覚悟を決めたように目を閉じ、セシルは襲い来る衝撃に備えていた。
俺はその様子を鼻で笑うと、あいつの手枷を外してやった。
「えっ……何を……」
動揺するセシルを無視して、足枷も外してやる。疲弊した躰はそう簡単に動かせないらしく、セシルはのろのろと上半身を起こしていた。
その無防備な躰へ俺は事前に買い占めていたものを投げつけた。
「それを割れ。自分でな」
「これは……!?」
俺が渡したのはセシルのCDアルバムだった。ただでさえ血の気が失せていたセシルの頬から更に色が失われていく。あいつは震える手でCDを握ったまま動かなかった。
「おい?」
肩を叩くとセシルは我に返ったらしい。まだ視線が揺れていたが、それでもあいつは案外はっきりした表情で俺に向き直った。
「申し訳ありませんでした。もうあんなことはしません。……ですから、これだけは」
「割れ。そういう約束だろうが」
「でもっ!」
セシルはアルバムを強く握りしめた。あいつが何を思っているのか手に取るように分かる。CDは単なる商売道具や仕事の結果ではない。努力の結晶で、誇りで、手に取るファンに向けた愛そのものだ。それに加えて、セシルは作曲家の女と付き合っていた。どんな紆余曲折があったかは知らないが、CDアルバムにもなるとどれほどの思い入れがあるかは想像に難くない。
セシルは明らかに動揺している。犯されている時よりも色濃い拒絶がその顔に浮かび上がっていた。そのままセシルは動かなかった。というより、動けなかったのだろう。何度か指先に力が込められていたが、僅かな軋みが響くと途端に止まってしまう。何度か怒鳴りつけてもそれは変わらなかった。
「そんなに自分達で築いたものが大事か?」
「…………」
セシルは俯いたまま答えようとしなかった。
「馬鹿な奴。彼女と楽しく曲作ってなぁ、もて囃されて調子に乗るからこんな目にあうんだろうが」
それでもファンは俺ではなく、セシルを選んだ。セシルの手が止まっているのは、彼女だけではないあらゆる繋がりが見えているからだ。手にしているのが、誰にとってもかけがえのないものだからだ。同じ世界に生きていたからこそ、俺はそれを実感を持って理解出来る。だからこそ、セシルの持つ視野の広さと感受性は俺を苛立たせた。
俺はセシルの手からアルバムを奪うと、衝動のままに足で踏みつけた。ケースが呆気なくひび割れていく。セシルは俯いたままだった。プラスチックが軋む度に、固く握りしめられた手が震える。
「目ぇ逸らしてんじゃねえぞ!」
怒鳴りつけるとセシルはゆっくりと顔を上げた。無様に泣き喚いているのかと思ったが、その表情には強い決意が見えて、俺の予想は呆気なく裏切られた。セシルはそれから一切目を逸らさなかった。煽っても反応を示さない。軽い音を立ててCDが割れた瞬間こそ、僅かに目を見開いたが、それだけだ。
「あれこれ言った割には案外薄情な反応だな。それがお前の本音って訳か」
「いいえ。ワタシ達の軌跡をアナタの歪んだ悦びにこれ以上触れさせたくありませんでした」
セシルは割れたCDを見つめながら、はっきりと答えた。その態度には風格に似たものが漂っていて俺を苛つかせた。
「それで溢そうな涙を堪えていますってか? 流石、適当な口説き文句でファンを喜ばせてきたアイドル様は言い訳が上手いな」
「あれほど輝いていたアナタが、こんなことをして悦んでいる。ワタシはそれが悲しい」
セシルは淡々と俺に言葉を投げかけていた。そこには深い悲しみと俺への哀れみだけがあった。確かに多少はセシルを傷つけることは出来たのかもしれない。だが、結局あいつは俺を哀れむことを止めようとしない。俺を下に見ることをやめようとしない。必死に表情を作り、セシルを鼻で笑ったが、部屋の空気を無意味に震わせただけなのは俺が一番理解していた。居たたまれなくてアルバムの残骸を拾い上げると、力任せにゴミ箱へと投げ捨てた。