そして光は灯された

ある偶像への祝福

 それからの芸能活動はもう目も当てられないものだった。セシルと俺の差について考えない日は無かった。気ばかり焦って、空回りを繰り返して、僅かに残っていた仕事もファンも次々俺から離れていった。そうしているうちに、案の定、事務所から解雇通知が来た。  事務員が手続きを説明する間も俺はただ呆然と聞いていた。ベテランらしい事務員はそんな反応への対応にもなれているらしく、説明が書かれたメモと一緒に書類を俺に押しつけた。背を押されるようにして事務フロアを追い出され、漸く実感が湧く。  数週間後に俺はアイドルでも何でもないただの一般人になるらしかった。  芽が出ないアイドルにいつまでも席を与えるほど温情のある事務所ではないことくらい分かっていた。だが、俺なら出来ると信じていた。一般人に戻ると考えただけで廊下を歩く足取りがおぼつかなくなった。  ふらつきながら誰もいない喫煙所に駆け込み、近くのベンチに座り込んだ。煙草を咥えはしたが火も付けられなくて、焦点の合わない視界を漫然と眺めた。  別の職種で一から働き直す気にもなれないし、別事務所のオーディションを受けるにしても、もう年を取り過ぎていた。夢も誇りも失って、俺の人生は音を立てて崩れようとしている。  どこから間違っていたんだろうか。輝く未来が待っているはずだった。あのちっぽけなライブハウスから、もっと広い世界に行けるはずだったのに。  そう考えていくうちに、分岐点として浮かび上がってくるのはセシルだった。あいつが現れてから俺の人気は地に落ちた。あいつがいたせいで、俺は空回りを繰り返した。人気を奪って、俺を散々追い詰めた挙げ句に、あいつは人の心を乱してステージに行ってしまった。  アナタの歌は素晴らしい――そんな言葉はお笑いぐさだ。あの時、セシルは俺を笑いに来ていたんじゃないかとこの時初めて気づいた。そんな自分の愚鈍さにも目眩がした。あいつは踏みにじった可能性をあざ笑って、俺を芸能界から追い出したんだ。……そうだ。俺が道を踏み外すはずがなかったのに、あいつの戦略にまんまと引っかかってこの様だ。  苛立ちに任せて煙草を灰皿へと力任せに押しつけた。意味も無く一本無駄にしたことが余計に俺を苛つかせた。だが、こうしてどれほど悔しがろうがもう遅い。セシルは成功し、俺は失敗した。この差は芸能界でどう足掻いても、ひっくり返せるものではなかった。  このままだとみっともなく泣き出してしまいそうで、喫煙所を出て事務所のロビーまで戻った。相変わらず多くのアイドルやスタッフでごった返しているそこにいれば表面上の平静は保てる。俺は俯いたままその場に立ち尽くしていた。その間にも他の奴らは俺の隣を通り過ぎていく。途切れ途切れに聞こえる話は大半がくだらないものだ。明日の撮影の話、衣装のアイディア、次に売れるのは誰か……俺にはもう関係ない話だ。それだけでも不快だったが、行き交う人間が二言目に話す話題が何より俺を苛つかせた。  セシル、セシル、愛島セシル! 人より幾ら仕事が多いとはいえ、少し異常なんじゃないか。忌々しく思いながら顔を上げると、セシルの笑顔が視線の先に見えた。咄嗟に声を上げかけて、すぐにポスターだと気づいた。  満面の笑みを浮かべるセシルの周りを美しい光が照らしている。あいつは数ヶ月後にどこよりも広い会場でソロライブを開くらしかった。事務所でも指折りの規模だ。だから誰もがセシルについて喋っていたんだ。音楽も、衣装も、プロモーションも、あちこち大忙しだろう。  ポスターのセシルが嗤っている。俺がどう頑張っても届かなかった場所で、あいつは世界中の幸福を集めたような顔をしていた。ああ、俺を嘲笑っているんだと直感した。  限界だった。その時、俺は自分がすべきことをはっきりと自覚した。誰もが一笑に付すようなくだらない思いつきだ。それを実行したところで俺を含めて誰も幸せにならない。  だが、人の生きがいを踏みにじった存在がのうのうと生きている、それがどうしても許せなかった。  光の海が照らす存在が、セシルであってはいけなかった。  それから先は案外簡単な話だった。アイドル時代に貯め込んだ金を全て注ぎ込んで急ピッチで準備を進めた。ここが計画で一番の難所だったかもしれない。事務所所属の立場を活かして、計画の実行に必要な情報も集めることが出来た。そんなことが出来るのも、辞めるまでの残り僅かな期間だ。解雇される三日前までかかって、俺はなんとか全ての準備を整えた。  日が落ちて赤提灯がぼんやりと周囲を照らしている。行き交う人々の顔も暗闇に沈んで判別出来ない。事務所から遠く離れた裏路地で、俺はセシルを待っていた。  幾ら俺の方が先輩とはいえ、セシルと俺に殆ど関わりはない。飲みに誘っても来てくれるかは半ば賭けだったが、セシルは拍子抜けするほど快諾してくれた。たまたま予定が空いていたらしいが、単にいつまでも芽が出なかった俺を嘲笑いたいだけだろう。  仕事で少し遅れるかもしれないと事前に連絡は受けていたが、約束の時間の五分前には声を掛けられた。  振り返ると、眼鏡を掛けて帽子を被り変装をしたセシルがそこにいた。 「お待たせしてすみません」 「大丈夫。俺も今来たところだよ」  俺は事前に目星を付けていた大衆居酒屋までセシルを案内した。狙い通りそこは騒がしく飲むことに夢中になっている連中ばかりで、店員まで含めて俺達を気にする奴は誰もいなかった。セシルは辺りを物珍しそうに眺めている。 「あまりこういう所は来たことないだろ? 今日は俺がおごるから存分に飲みなよ」 「ありがとうございます。人々が集ってとても賑やかな場所ですね」 「そうだろ、ここまで人が多いと逆に俺達は目立たないんだ。穴場だよ。……すみません! 生とウーロン茶一つずつ」  店員はすぐに飛んできて、メモを取ると厨房まで走って行った。セシルが呼び止めようとしていたが、その時にはもう店員の後ろ姿は消えていた。 「先輩は飲まなくてもいいのですか? それならワタシも遠慮しておきます」 「おいおい、せっかくおごってやるのにそんな寂しいこと言うなよ。俺は車だから愛島さんを送れるし、気にしないでじゃんじゃん飲むんだぞ」 「そう……ですか」  セシルはまだ気にしている様子だったが、俺はそれを無視して、運ばれてきたビールを差し出した。  それから俺達は飲み交わしながら適当な雑談をした。最初はセシルに自由に話させていたが、俺のソロ曲について表現技法から演出意図まで細かく聞いてくるので、すぐに話を打ち切った。俺が一番輝いていた時代を持ち出されたことも、あいつが本当に俺の曲をよく研究していたことも、何もかも苛立ちの種でしかなかった。  数十分も話していると、セシルの様子は明らかに変化した。頬は赤らみ、目を擦るあいつは明らかに話に集中出来ていない。俺は敢えてつまらない話をしながら、セシルに水を差しだした。 「すみません……。いつもはこうならないのですが、今日は酔いが酷くて……」 「大丈夫。こういう時の為に俺がいるんだからさ」  セシルは俺が渡した水を一気に飲み干している。それを横目で見ながら、俺は酒に混ぜていた薬の残りを鞄へと戻した。セシルの様子を見るに、薬はよく効いているらしかった。渡した水にもダメ押しで追加の薬を混ぜてある。あと少しすれば、セシルは完全に意識を失うだろう。狙い通り今は店が一番混んでいる時間だ。今会計しても店員に顔を覚えられる可能性は低い。  急いで会計を済ませた後、店の裏手にある駐車場までセシルを連れて行った。一歩進む度にあいつの体がふらつく。見かねて俺が肩を貸してやると、セシルは素直に従ってくれた。 「気を遣わせてしまって申し訳ないです……」 「いいんだ。ほら、もう車に着いたぞ。本当に危ないから遠慮せずに乗って行けよ。愛島さんはまだ寮に住んでるんだよな?」 「そうです。ありがとう……ございま……す……」  セシルを後部座席に乗せて、俺も運転席へと乗り込んだ。バックミラーを覗くと、既に寝息を立てているセシルが映っている。鍵を差して、セシルを起こさないように出来る限り静かにアクセルを踏むと、車は滑るように走り出した。セシルの安らかな寝顔を見ながら、俺は事務所の寮とは反対方向へとハンドルを切った。
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