星に映る日
アイドル――彼等はその輝きから星に例えられる。愛島セシルもその例に漏れず、シャイニング事務所の新星と世間から騒がれていた。
〝新しいCMかっこよかった!〟〝新曲が本当に情熱的で……〟〝ライブのビジュがあまりに良すぎる〟そんなネットの書き込みを眺めながら、舌打ちをする男がいた。
「何も分かってない……お前らは何も分かってねえよ……」
男は乱暴にスマホを放り投げると、うっとりと部屋を見渡した。薄暗い部屋の壁いっぱいにポスターが所狭しと貼られ、棚には缶バッチや表紙を飾った雑誌、発売されたCDが幾つも並んでいる。男は満ち足りた気持ちで息を吐いた。
「俺が一番お前のことを分かってる。愛してる、今日も愛してるんだ」
口の中でぶつぶつと呟きながら、男は神にでも祈るように胸の前で両手を組んだ。
愛島セシルのファン層は広く、応援のされ方も様々だ。彼の純粋さや日本語のたどたどしさを可愛らしく思う者もいれば、垣間見える気品にのめり込み過剰に祭り上げる者もいる。この男は後者だった。考えの違う他人を許すことが出来ず、男は自分こそ愛島セシルのただ一人の理解者だという幻想に浸って毎日を過ごしているのだった。
「あっ……もうこんな時間か」
男は時計を見て、スマホを拾い上げるとすぐさま立ち上がった。部屋着のままで壊れかけのサンダルを突っかけると、男は小走りで外に出る。その足取りは軽かった。外は既に日が沈んでおり、辺りには誰もいない。指先も見えるかどうかという暗闇を、街灯が頼りなげに照らしていた。
男は胸を弾ませながら、近くの電信柱の陰にしゃがみ込んだ。その姿は暗闇に紛れてしまい、時折微かな笑い声が洩れる以外は男の存在を確認する術は無かった。
それから数十分後、遠くに車のライトが見えた。男は両手で口を押さえて、その光を凝視する。男が隠れている電信柱の少し手前でその車は止まった。都内ではありふれたタクシーだ。辺りが静まりかえっているおかげで中の乗客と運転手とやりとりまで聞こえてくる。
「ありがとうございました。ではまた明日もよろしくおねがいします」
乗客は運転手に穏やかな口調で告げると、タクシーを降りた。タクシーが走り去ると同時に、ライトに照らされて翡翠色の瞳が光る。口元までマフラーで覆い、帽子を深く被っていてもその輝きを男が見間違える訳がない。男のほんの数メートル先に佇んでいるのは愛島セシルに他ならなかった。
セシルは踵を返すと、ゆっくりと歩き始める。男は後ろからそろそろと着いて歩いた。これがこの男の習慣だった。セシルは近くのマンションに住んでおり、この電信柱の近くにタクシーを止めると男が知ったのは全くの偶然だった。だが、これは運命に他ならないと男は確信していた。こうしてセシルと共に過ごす時間があればこそ、自分が誰よりも自分がセシルを理解出来るのだと男は思っていた。
感嘆しながら、セシルの後ろ姿を見つめる。彼の髪も、褐色の肌も暗闇の中で見るとより艶が増しているように思えてならなかった。背は男より少し高い。体格は細く見えるが、皺の寄り方から考えて鍛えていることは明白だ。歩調は今日は少し早い。聞こえてくる僅かな息遣いさえ愛おしい。男は思わず両手を胸の前で組んだ。美しいものを前にした祈りのような想いが溢れて止まらなかった。この時間が永遠に続けばいいと願わずにはいられない。
しかし、数分も歩けばセシルはマンションに辿り着いてしまうのだ。男は見つからないように街灯の陰で足を止める。別れの時だ。だが、男はこの瞬間を最も愛していた。
マンションへと続く角を曲がる寸前、セシルは目を凝らして振り返る。暗闇の中で翡翠色の光がまるで星のように光るのだ。そしてその光は一瞬だけ街灯を映す。あの輝きの中に物陰に隠れているとはいえ自分が映るのだ。その事実に男はこれ以上ないほどの興奮を得ていた。セシルのファンなど掃いて捨てるほどいるだろう。だが、これほど同じ時を過ごし、その姿を瞳に映されている存在がいるだろうか、と男は自問し、首を振った。
遠くに離れていく後ろ姿を男は見送る。愛してる、と何度も祈りながら。
練習がてら一人ワンドロでした。久々に小説ちゃんと書けて嬉しいね。
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