一条の光

 多くの人に囲まれて歌うことに、セシルは抵抗など抱いたことも無かった。生まれた時からの慣習で、音楽を学んで神に曲を捧げる。儀式で、式典で、王族の勤めとして行うことだったのだから、祈り以外に何かを思うことも無い。祈りを捧げるセシルの姿を周囲の人々は好き勝手に敬服し、疎み、聞き惚れ、嫉妬していた。そんな眼差しの数々を義務として愛しながら、セシルは日々を過ごしていた。  そんな周囲はある日、強制的に消え去った。セシルの方が彼等の前から姿を消したと言った方が正しいのだろうが。王族としての勤めも、夢も、積み上げてきたもの全てを剥ぎ取られた先で、セシルを見つけたのはたった一人の少女だった。  比喩ではなく一瞬で過ぎ去る月日の中で、春歌はセシルの歌を幾度となく聞いていた。それは必要に駆られてのことでもあったが、セシルの姿を写す彼女の眼差しは今までセシルを見ていた人々とは大きく異なっていた。  セシルが息を吸う瞬間、春歌も小さく息を呑む。僅かな喉の動き、指先の角度、眼差しの動かし方、それら一つ一つを決して見逃さないように眺める視線。紡ぎ出される歌声からどのように感情を動かしているか、セシルは手に取るように理解できた。崇めて突き放すのではなく、存在を恨むのでもない、セシルという存在全てで己の心を満たしている感情、無理に例えるならばそれは愛だった。セシルが歌い終わって春歌の方を見た時、彼女は拍手をしながら跳ねるようにして駆け寄っていく。本当に素敵です、貴方に歌ってもらえるなんて、そう息せき切って話す彼女を見ながら、セシルの頬は僅かに赤みを強くした。  存在の肯定、それはセシルに溢れるほど与えられているようで、彼自身に焦点を当てた肯定をしているものは今までの人生で数える程しかいなかった。皇子として、神の一族として、存在することを求められ、そう在るからこそ疎まれた彼にとって、春歌の存在は特異だったのだ。彼女は彼自身の声を、技術を、歌を愛した。セシルの全てを見逃さないようにと願うということは絶対的な存在の肯定だ。セシルにとってはそれだけで、永遠が得られるほどの幸福だった。  だが、それだけでは終わらなかった。事務所に正式に入り、取り巻く人々が増えていくにつれて、セシルに向けられる眼差しの数は増えていった。ステージに飛び出す度にあげられる歓声、歌声に魅了されている空気、自身を照らす美しい光。アイドルは人々を楽しませ、人々はアイドルを輝かせる。肯定の循環に巻き込まれて、増していく光がセシルに取ってあまりに眩しかった。  今日も本当に素敵でした、歌ってくれて本当に良かった、そう息せき切って語る春歌はあの日々とは違いもう制服も着ていない。だが、セシルがステージから戻る度に、駆け寄る彼女の姿は何一つ昔と変わらないようにセシルには思えていた。セシルを取り囲んでいる光は春歌と手を取って歩み続けた、長い道程の先にあったものなのだから。

光は彼女でありファンであり描く未来であり。

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで