You save my life

「ふっ……く…………ぁっ」 「ご加減は如何ですか」  少年の掠れ声と女の囁くような声が混じり合い、淡い暗闇に反響する。むせ返るような花の香りが広すぎる部屋を満たしていた。その中央に在る天蓋が張られたベッドからは二組の褐色の脚が覗く。脂肪の殆ど無いしなやかな脚と、肉感的な柔らかな脚。対照的な二対は幾度となく絡み合った。  国家元首の一族として、セシルはあらゆる教育を受けていた。当然ながらその高貴な血を継ぐ為の儀式もその中には含まれていた。それは上に立つ人間の求められる振る舞いであり、女神を信仰し仕える一族として知っておかなければならない知識でもあった。淡々と詰め込まれる知識は日毎に増え、彼の躰もそれに見合うように成長を重ねていく。全ての条件が整い、迎えた今日は知識を実践に至らしめる記念すべき日だった。その時彼の心に去来していたのは、あるべき日を周囲に定められる違和感でもなく、その日に対する当然の不安でもなく、微かな期待だった。だがそれは好色的なものではなく、もっと原始的な、他者からの愛を得るという欲求でしかなかった。  男女の交わりとは愛を育むものであり、その結果として子孫を授かる、というのが彼に詰め込まれた御題目だ。その言葉は日々を孤独と共に過ごしていたセシルに対しては劇薬に等しかった。本当にセシル自身を愛してくれる存在が側に在り続けることを、彼を取り巻く環境は決して許そうとしなかったのだから。  外面ばかり豪奢に飾られた宮殿はセシルにとって牢獄と大して変わりない。周囲の人々は〝第一皇子〟への敬意を忘れたことはなかったが、愛島セシル当人をどう思っているかは誰が見ても一目瞭然だった。歯の浮くような賛辞を吐き出す仮面の奥を覗けば、いつも同じ眼差しがセシルを睨む。下女から官僚までそれは変わらないのが常だった。  彼等がここまでセシルを疎んじる理由は彼に混じる外界の血だという。だが王と外界から来た妃の間で交わされている愛はセシルには何よりも好ましいものに思えていた。だからこそ、そんな原因を超えて交流を持てる人間がいないという事実は常にセシルを苛んでいた。変わらぬ空虚さを抱え、周囲の針のような眼差しに晒され続けることは一人の少年にとって、あまりに残酷だ。だが、彼の生まれ持った身分はそのような感情を無闇にさらけ出すことも封じていた。内に巣くう孤独は日に日に増し、それでも彼はあらゆるものの為に、望ましい皇子として存在し続けていた。  そんな中でセシルにその日は訪れた。あらゆる愛が収束する行為、満ち足りた儀式、心と心を繋げるもの、吹き込まれた教えが情に飢えた少年をどれほど惑わせるか考える者など誰もいなかった。  その夜、寝室には嗅いだこともない香が焚きしめられていた。セシルは周囲に悟られない程度に顔を顰める。強すぎる花の香りは自身から明快な思考を奪っていくように感じられた。恐らくはそういうことに使う香なのだろうと、推定するのは容易だった。部屋に甘過ぎる香りが満ちた頃、密やかに戸を叩く音がした。たったそれだけで心臓が跳ねた。 「……入れ」 「失礼いたします」  扉が開かれ、現れたのは相手は黒髪の艶やかな美しい女だった。この女と情を交わすと考えるだけで、セシルの胸は震えた。見つめ合い、微笑み合う、そんな当然をどれほど待ち焦がれたことだろうか。  だからこそ、伏せられた頭が上げられた瞬間に冷水を浴びせられたような感覚がセシルを襲った。蠱惑的な唇は光栄だと弧を描いていたが、これから共に行為に及ぶはずのセシルを見る女の目は他の者と何一つ変わりない。異物を見るような拒絶が滲むその瞳は、初めて見る筈なのにセシルにとってはあまりに見慣れ過ぎていた。その事実に耐えきれず視線を動かせば、周囲で息を潜めている召使い達も同じ目でセシルを胡乱に眺めていた。二十数個の瞳に映る感情は明確な蔑みと無関心に近い拒絶だった。  その瞬間、確信に近い諦めがセシルを貫いた。自分は生涯この目からは逃れられないのだと。それと同時にセシルは彼等に奉仕する王族として、その感情を完璧に覆い隠した。彼は柔和な笑みを浮かべ、教え込まれた通りに女をベッドへと導く。皮肉にもその時に女が浮かべていた表情は、セシルが向けられることを望み続けていた温かなものだった。互いに微笑み合う見目麗しい少年と女は傍から見ればさぞ似合いだったろう。彼等の纏う空虚さえ、気づかなければの話だが。  しなだれかかる女を抱き寄せ、慣れない手つきで服を脱がせると、自身とは全く異なる柔らかな躰が溢れ出す。砂時計のようなその線をたどたどしく指で辿りながら、セシルは不可思議な夢の最中にいるような戸惑いを抱いていた。セシルにとって最も身近な女の躰は母のものだ。だが記憶にある感触は布越しのもので、その下を目にすることは何重にも敷かれた慣例が許しはしなかった。だからこそ眼前の豊満な胸や括れた腰、丸い臀部が欲情の対象というよりも、ただ異質に思われた。  そんなセシルを見て女は何を思ったのか、妖艶な笑みを浮かべて彼をベッドへと横たえた。今夜はお任せくださいませ、と女が喉を鳴らす。その姿をセシルは少し哀れみを持って見ていた。命令を受けてきたであろうこの女が真の意味で交わりを望んでいないのは明白だ。セシルもそれは同じだった。互いに望まないこの行為は、既に愛し愛されるという非日常が期待できるものではなくなっていた。寧ろセシルにとってこの感情はあまりに日常的過ぎた。また、誰も望まない自身と他人の関わりが始まろうとしている。  女はセシルの瞼に口付けし、それと同時に下腹部に手が伸びていく。布と躰の間に手が滑り込むと同時に、言いようのないの奇妙な感覚が襲った。思わず息を呑むセシルの背を女は空いている手で宥めるように撫でた。セシルは必死に息を整え、詰め込まれた知識を思い出しながらたどたどしく女の肌に触れる。だが、その間も一人でしか知らなかった感覚がずっと強くなってセシルを飲み込む。 「はぁーっ……は……くっ……」  性器が完全に勃起したのを見計らって、女は手を止めた。女は再びセシルを見て、覚悟を決めたように小さく溜息を吐くと、彼の躰に跨がった。 「ふっ……く…………ぁっ」 「ご加減は如何ですか」  途端に嵐の中へ一人で放り出されたような感覚がセシルを襲った。何かに下腹部が捕食されているようにも感じられた。嫌悪も幸福も無かった。あるのは違和感と恐怖だけだ。 セシルは必死になって未知の感覚を受け止め続ける。思わず縋るように女を見た瞬間、無感動な目がセシルを射貫いた。当然の話だ。会話も男女の交わりも関係なく同じだ。所詮は人同士の行為に過ぎない。この行為は心を交わす場だと言われたことが皮肉めいて響いた。交わす心などこの場に在りはしないのだ。それでも波のように襲い続ける激感に耐える為にセシルは女を抱きしめた。女もそれに併せて強く脚を絡める。離れている心とは裏腹な深い躰の繋がりを、セシルは何より気味悪く感じていた。 「大変光栄でございました」  周囲の目があるにも関わらず、女は紛れもなく吐き捨てるように呟いた。それは周囲にいる召使い達もその反応を一切咎めないということだ。女は腹を伝う白濁を感情の無い目で眺めてすぐに拭き取った。これが自身の内に入っていた可能性を考えていたのだろうとセシルは察した。女はセシルに半分流れる血を忌み、それが自身と混じり合うのを拒んでいる。仮に王族として迎え入れられるというメリットでもあれば別だろうが、所詮教養としての練習相手にこの女が選ばれている時点でその可能性は潰えていた。  こうしてセシルの初めての一夜は終わりを告げた。既にセシルは愛を交わすという行為を信じることが出来なくなっていた。だが、一度で終わるような教育など存在しない。相手の女は都度変わり、定期的に夜は訪れた。女は年格好こそ違えど皆美しく、俗に言う上手でもあったが、セシルを見る眼差しや反応までも判で押したように同じだった。無関心、侮蔑、拒否、そんな感情を向けられながら互いの全てを晒し合うのは苦痛以外の何物でも無い。だがこれは知識の実践としての行為だ。最初こそセシルは相手に身を任せていればよかったが、次第にセシル自身も教えられた通りに相手に奉仕することを求められた。恋人達が行うものを表面だけ真似し続ける虚しさに頭がおかしくなりそうだった。寧ろこんなこと知らずに放って置かれた方がずっと良かった。擬似的な愛の形だけを認識し、その中身を手に入れることは出来ないと突きつけられる。それがセシルに訪れる夜の意味だった。  そうして本質的な意味で愛を理解することを諦めかけていた矢先、運命は彼を異国へと導いた。  少女に初めて抱き留められた時、セシルはその体温に衝撃を受けた。その行為に伴うのは純粋な優しさだけだったのだから。何せこの時のセシルは皇子でも何でもない、人間でさえない獣だった。見返りなど期待出来る筈もなく、優しくする理由など存在しない筈だ。  だからこそ異国の少女から受け取った優しさは、セシルにとって世界が一変するほどの衝撃だった。行く当てもなく彷徨い、その少女の元へと向かった時もそれは変わらなかった。春歌というその少女はセシルに新しい名前を与え、家族同然に愛を注いだ??あくまでも猫としてだったが。名門の芸能学校に通っているらしい彼女は、未熟ながら音楽の道を歩んでいた。セシルにとって、それもまた運命のように感じられた。  そして何より彼女が抱えていた孤独はセシルを長年苛んでいた其れとあまりにも似ていた。世間から隔絶された学園という地で誰にも頼ることが出来ずに一人藻掻いている春歌に、セシルが深い情を向けるようになるまで、さして時間は掛からなかった。  音楽とは自己の表現でもある。春歌が上手く学園で動けないのは、彼女の自信の無さも大きく通じているとセシルには感じられた。だからこそセシルは力を貸した。所詮獣の身で出来ることなど高が知れていたが、がむしゃら過ぎる努力を矯正し、春歌を必死に励ました。ただ、一人ではないと伝えたかった。いつも一人で取り残されている彼女の傍らにいることならば、今のセシルでも出来るのだから。自分のような思いを、救ってくれた少女にだけはさせたくなかった。 「おいで、クップル」  春歌の膝の上で撫でられる時、セシルはその小さな手に思い切り躰をすり寄せた。春歌から見ればそれは小動物の範囲を出ない愛情表現だったが、その温もりに触れる時は春歌も屈託の無い笑みを見せていた。 「励ましてくれてるのかな? ありがとう、クップル。良い子ね……」  その度にセシルの心には今まで抱いたことのない愛おしさが募っていく。国民達に向ける思いでも、家族に向ける思いとも異なる想いは日に日に強くなる一方だった。  だからこそ運命の不思議な巡り合わせで彼女と想いが通じ合ったその時、ただ歓喜だけがあった。長い間国が掲げる信条としてだけ認識していた、口付けを交わすという行為の神聖さをその時セシルは真の意味で理解した。利害の一致による魔法のキスではない、気持ちを交わし合う為の口付けは、セシルにとって永遠そのものだった。  だがそれを伝えてくれた春歌という存在とセシルを引き裂くのは、自身の王族としての役割だった。漸く見つけた愛を子供の我が儘と切り捨てなければならないほど、事態は逼迫している。ただの少年になりたいと無邪気に願うことさえ出来なかった。何代も掛けて守っていた国と世界を切り捨てるほど無責任になれる筈もなかった。  何故、とだけセシルは思う。春歌が微笑みかけられる度に生きたまま裂かれるような悲しみが心を覆う。愛し、愛される喜びを知った今、再び国で針の筵に一人座り続ける余生を思うだけで吐き気がした。だが、それと同時に守るべき国が、未来が自身の手の中に在ることも十分に理解していた。本来ならばこのように葛藤することさえ、セシルの立場では許される筈もなかった。  それでもセシルは、春歌と逃亡生活を始めたことを裏切りだとは呼ばれたくなかった。これから一人きりで国を背負い立つ為に、残りの人生を前を向いて歩んでいく為に、セシルも春歌もこのままではどうしても終われなかった。二人を結びつけ、二人を引き裂こうともしている神の曲に想いを乗せて、セシルと春歌は語り合った。獣でも皇子でもなくただの少年として相手と曲を作り、愛を交わし続ける日々。これこそ孤独に乾いた半生でセシルと春歌が求め続けていた日々だった。互いしか考えられないと歌い交わし、音を奏でる度に確信する。  だからこそもっと奥深くまで触れたいと願うのは自然なことだった。そういう想いが芽生えると知識として理解することと、経験として感じるのでは雲泥の差だ。  語り合うふとした瞬間、充足した時、二人で眠りに落ちる刹那、そんな感情がセシルを抉る。だが恋人同士の愛が満ちる行為について思う時、その結果生まれる存在がちらついた。男女が交わった結果生まれるものは幸福だけではないのだ。春歌と愛し合い、祝福される夢をセシルは何度見たか知れない。彼女との愛の結晶が次の国を支えるべき存在となるほど素晴らしいことがあるだろうか。しかしそんなことは夢想に過ぎなかった。二人は幾千の海と山に隔てられて生きていくことが決まっているのだから。  互いの鼓動を合わせて眠る、たったそれだけで胸が熱くなるような喜びがある。愛している、と言葉でも口付けでも幾度となく伝えるだけで、彼等は孤独ではなかった。だからこそこの一瞬を永遠に抱えて生きる為に、互いの残りの命に刻み込んでいく。  もっと深く、と願いかけてセシルは自嘲気味に笑った。愛する人と契る為という名目で受け入れ続けたあの日々が虚しく響く。最も愛する少女にこれ以上触れ、万が一のことが在ってもその時にはセシルはもう宛がわれた女神と番っているのかもしれないのだ。せめて避妊具の一つでもあれば、とまで考えてしまう浅ましさにセシルは自己嫌悪を募らせた。  春歌は胸に抱かれながら、セシルの腕の力が強まったと感じていた。導かれるままにセシルの首筋に顔を埋めて、春歌は愛しい相手の匂いを吸い込む。細い少年少女の脚が絡み合い、冷えた空気を僅かに温めた。もう二度と現れない、現れる筈もない、これほどまで深く愛せる相手の存在を記憶に刻む。このまま上辺だけの付き合いだけに囲まれて閉じていく筈だった人生に、鮮やかな色を残した人だった。  セシルが何を望んでいるのか全く分からないほど、彼女も子供では無い。何故セシルがそれを伝えないのかも分かっていた。それでも、抱きしめてくれる腕と同じだけの強さで身を寄せることを春歌は止めることが出来なかった。いっそ残るものが欲しいと古くさいメロドラマ染みた台詞でも言えれば、と春歌は僅かに思いを巡らせ小さく息を吐いた。そんなことは身勝手な我が儘に過ぎない。優しい彼を余計に苦しめ、仮に実現した所で自分一人で生きていける訳も、夢が叶えられる訳もなかった。そんなことは互いに望む未来では無い。中途半端に熱を交わす度に二人は互いの首を絞め、未練を深めていく。在ってはならない未来を望みかけてしまう。だがそれと同時に泣きたくなる程に幸福だった。  肉体の繋がりだけを延々繰り返させられた過去とシーツも乱さずに抱き締め合う今でセシルに湧き上がる感情は全く違っていた。春歌の色素の薄い瞳を覗き込むとセシルの姿だけが映っている。自然と口付けると、彼女も慣れないながら小さく口を開いた。そのまま幾度となく愛を伝えているうちに、互いに微かな声が洩れる。半ば息だけで謝る春歌を宥めるようにセシルは再び口付けた。もっと彼女の色んな一面に触れたいと抑えていた想いが燃える。互いのシャツの乱れを出来る限り時間を掛けて直しながら、再び堅く抱き合って眠る。目を閉じれば、春歌が自分を覗き込むとセシルは知っていた。そのまま頬に落ちる滴をセシルは黙って受け止めていた。  そんな日々が終わりを告げる日、セシルと春歌の愛の証明が歌われた日に、残酷だとばかり思われた神は彼女に宿った。神という絶大な後ろ盾を得た今、敬虔な国民達は拍子抜けする程あっさりと掌を返していった。だが人というのは得てしてそのような単純さを持っているものだ。そんな些細な真実よりも、本当に愛する人と人生を歩めることの方が二人にとってはずっと大切なことだろう。  今や二人のものとなった部屋には花の香りに満ちている。窓辺に飾られた多数の花は学友達から記念にと送られたものだった。 「今日もお疲れ様でした」 「ありがとうございます。セシルさんこそお疲れ様でした」  儀式と教育を一日に詰め込まれて疲れているだろうに、春歌がセシルに向ける笑顔は日本に居た時と何も変わらない。セシルは春歌の手を取り、ベッドの天蓋を捲った。洋灯の光が柔らかな寝床を照らす。そのまま二人は半ば埋もれるようにして其処へ倒れ込んだ。ちょっとはしたなかったかな、と春歌が小声で呟いて笑い声をあげる。セシルを見上げるその瞳には愛情が色濃く映っていた。 「ゆっくり休んで。My Princess……」  キスをした瞬間、セシルの手を春歌は強く握った。同じだけの力でセシルも握り返す。それと同調するように口付けをどちらとも無く交わし合った。もう一度、もう一度と望む度に回数は重なり、次第に深くなる。二人は強く抱き合い、殆ど息だけで笑った。 「こうしていると地下にいた時を思い出しますね」 「ええ。あの時のワタシはこんな未来が待っていると思いもしなかった。教えてあげたいくらいです」 「本当に……」  そう言うと春歌は僅かに頬を染めて口ごもった。それを見たセシルは僅かに外へと視線を向ける。部屋の隅に控えていた召使い達は速やかに去っていった。 「いつもごめんなさい。いい加減慣れなきゃとは思うんですけれど……」 「いいえ。そんなことは些細なことです。アナタと存分に愛し合える方が大事。……愛しています」 「わたしも……わたしも大好きです……愛しています、誰よりも」  緩められた衣が床へと落ちていく。少しぎこちなく舌が絡んだ。呼吸が早まっていく。その合間を縫うようにして、二人の名前が部屋に響いた。それはセシルが夢見続けてきたままで、既に幾度も交わしている行為であっても新鮮な幸福が彼を包んだ。腕の中にいる春歌の小さな躰の線をゆっくりと辿るだけで、彼女は身を震わせてセシルの腕に縋った。 「ふっ……ぁ…あぁっ……」  遠慮がちに声を洩らしながら、今にも溶けそうな瞳で春歌が自身を見つめる瞬間、セシルはいつも彼女に見惚れる。あの瞳にはセシルしか映っていない。眩いほどの愛情に裏打ちされた強請るような目線を知るのはセシルだけだ。  そしてセシル自身も全く同じ目をしているだろうということも自覚していた。汗の浮く白く柔らかな肢体をセシルだけが独占し愛している。かけがえのないその存在を確かめるように、セシルは幾度も口付け、感触を手に焼き付けた。それと同時にセシルの身も心も全て春歌は独占し、耽溺していた。若い恋人達は言葉と全身で幾度となく互いへの愛を伝え合っていた。 「セシルさんっ……あの……っ! もう、大丈夫ですから」  早く、と目で訴える春歌の瞼にまでセシルは唇を落とす。まだ行為に慣れていないのに一生懸命な彼女が可愛らしくて仕方なかった。 「……本当に大丈夫ですか?」  だがそれと同時にもっと存分に満たされて欲しいという思いもあった。本当に彼女はついこの前まで誰にも深く触れられていなかったのだから。セシルの瞳が真っ直ぐに春歌を覗き込む。その瞳に射貫かれて、春歌は頬を更に紅潮させた。セシルからこうしていつもと違う自分を見られていると、どうしようもない羞恥に駆られてしまう。 「ええ。それに、わたしばかりこんなに……申し訳ないです……」 「ふふっ、そうなんですか?」 「セシルさん。わたしは本当にそう思っているんですよ? それに、あの……」  笑うなんて、と僅かに頬を膨らませた後、春歌は顔を隠すようにセシルへと身をすり寄せた。こうやって身を寄せているだけでも、少しずつ自分がはしたなくなっているかのようで、それでも止められそうになくて、ただ想いが止められなかった。セシルに何もかもさらけ出されていく時はとても満ち足りていていたが、セシルへ身を預けるのが春歌にとってはまだ精一杯だ。だがそんな所まで含めてセシルを高ぶらせているのを知らないのは彼女だけだ。 「きっとワタシも多分ハルカと同じ気持ちです。もっとアナタを感じたい」 「セシルさん……」  来て、と告げるように春歌は腕を広げた。セシルはそれに答えて、一番強く彼女の細い躰を抱いた。 「…………っう」 「……は、ぁ……まだ痛い?」 「少し、だけっ……」  経験の浅い躰には少々辛いものを受け入れ、春歌は僅かに眉を顰める。だが、与えられている痛み以上に焦げるような幸福感が彼女を貫いていた。其処には愛しい人と一つになる喜びだけがあった。  それは受け入れられているセシルに取っても同じだった。春歌の高い体温を感じる度に傍らで生きていても良いと許されているような気がしていた。其処にあるのは限りの無い肯定と安堵だった。ただ抱き合うよりも更に深く混じり合い、熱を帯びていく体温。鼓動まで溶け合ったと思えた。セシルの瞳には春歌が映り、春歌の瞳にはセシルだけが映っている。  愛していると波のように躰中へと想いが刻まれていく。これからもっと深くなるだろう愛の証は強く二人を結びつけていた。幾度となく繰り返される行為の中で、少年と少女は堅く抱き合った。もう二度と相手を一人にしないように願って。東の空が白んでいく。  新しい朝はもうすぐ其処まで来ていた。

愛島君の誕生日に向けて書いた話でした。

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで