ノスタルジアを脱ぎ捨てて

「わぁ……懐かしい!」  それを見た時、春歌は思わず声を弾ませた。キャビネットの中に眠っていたのは早乙女学園の制服だった。  行き詰まった時、人は掃除に取り組む。それは人気作曲家、七海春歌も例外ではない。  事の発端はシャイニング事務所で行われているアイドルのバースデー企画だった。去年行われたのは新曲の公開だったが、今年はアイドル達のソロ曲をアレンジするというものになった。当然ながら、その企画にはセシルも選ばれており、彼がアレンジに選んだのは『Destiny song』だった。アレンジの担当者はもちろん、セシルのパートナーである春歌だ。  この曲は二人が出会い、想いを通わせるまでの全てが詰まっている曲と言っても過言ではない。  企画を伝えられてから、春歌は気合いを入れて自室のピアノに向かい続けた。彼女の頭の中には既に幾多のアレンジが渦巻いている。数日など瞬く間に過ぎ、机やピアノの周りには楽譜や資料が高く積み重なっていく。 「う~ん……これも違う、気がする」  だが、春歌はずっと首を捻り続けていた。アコースティック、ジャズ、ラテン、ワルツ、ロック――たくさん作ったどのアレンジもクオリティに問題はない。だからこそ春歌は悩んでいた。 (どれもきっとセシルさんなら歌える筈。でも……セシルさんらしくはない)  春歌は長く息を吐くと、目を閉じた。正直、セシルに最も似合っているのは原曲の神秘的な雰囲気だ。アレンジで大幅に方向性を変えれば、印象は塗り替えられるが、セシルとは馴染まないものになってしまう。模索すればするほど指針はぶれていくようだった。 「行き詰まっちゃってる……ああっ!」  再び溜息を吐いた瞬間、山積みにされた資料達が雪崩を起こした。寝不足で乾いた目を瞬かせて、春歌は暫く呆然としていた。部屋中に散らばった楽譜の山はまるで今の春歌の脳内をそのまま映し出しているようだった。考えもまとまらず、形にならないアイディアだけが 渦巻いている。そんな様子を眺めるだけでも春歌の気持ちは後ろ向きになってしまいそうだった。春歌は数秒俯いていたが、突如顔を上げると自分の頬を二三度叩く。 「掃除しよう……! こんな気持ちで向き合っちゃだめだ」  そうして彼女は立ち上がると、まずは雪崩を起こした資料の整理を始めた。散らばった楽譜を拾い集め、ジャンル毎に分類していく。舞い上がった部屋の埃を取り除いて、窓を開けて新鮮な空気を通した。永遠に続くようだった外の熱さも落ち着いてきており、心地よい風が流れ込む。春歌は窓から外を眺め、深く息を吸い込んだ。  それからも彼女は掃除を進め、連日の作業続きでやや荒れていた部屋は見違えるほど綺麗になった。 「ついでに衣替えの準備もしようかな」  完全に気分が乗った彼女が次に手に掛けたのはキャビネットだった。両開きの扉を開け、服を取り出して眺めているだけでも気分が切り替わる。必要な物を分類し、長袖の物を手前に出しておく。古い服も処分する為にまとめておいた。春歌が持っている服はそれほど多くないこともあり、作業は一時間も掛からなかった。そろそろアレンジ作業に戻ろうかと春歌が考え始めた矢先、キャビネットの隅にあった一着が彼女の目にとまった。 「わぁ……懐かしい!」  それを見た時、春歌は思わず声を弾ませた。そこに眠っていたのは早乙女学園の制服だった。 「最後に着たの何年前かな。入学して、皆さんと出会って……授業は全然上手くいかなかったけど、クップルが助けてくれて……。そしてセシルさんと会えたんだよね」  早乙女学園に在籍していた一年間の中で、春歌がこれを着ることが出来たのは実質数ヶ月だけだ。だが、その僅かな間でも過ごした時間は濃密だった。目を閉じれば、情景が次々に思い浮かぶ。過去に思いを馳せながら、春歌はジャケットを指でなぞっていた。 「どうしたのですか、ハルカ」 「わっ! セシルさん……?」 「すみません。驚かせるつもりはありませんでした」  春歌が振り返ると、背後でセシルが目を瞬かせて立っていた。 「気にしないでください。ちょっと考えごとをしていただけですから」 「考えごとですか?」 「ええ、息抜きに掃除をしていたら懐かしい物が出てきて」 「おお、これは……」  セシルは春歌の手元を覗き込むと、遠くを見るように目を細めた。 「懐かしいですよね。見ているだけであの時の思い出が蘇ってきて……」 「もう着ないのですか?」 「えっ」  春歌が思わず顔を上げると、セシルは目を合わせて微笑む。 「もう一度これを着ているアナタが見たくなってしまいました」 「で、でも最後に着たのも数年前ですし……」 「大丈夫です! 最近は大人の制服デートというものが流行っているそうですから」 「なるほど……」  大人でもあえて制服でデートすることが流行っていると、最近買った雑誌に書かれていたことを春歌は思い出した。表紙はセシルだったから、彼も出演箇所のチェックついでにその記事を読んだのだろうと、春歌は察した。 「あの、セシルさん」 「なんですか? もしかして着るのは嫌?」 「いいえ。ちょっと恥ずかしいですけど……」 「Excellent! ありがとうございます!」 「でもセシルさん、あの、わたしだけ着ても制服デートにならないと思うんです」  思い切ってそう言った後、春歌はやや頬を赤らめた。セシルは彼女の様子をしばし堪能した後、力強く頷く。  「なるほど、大切なことを忘れていました。ワタシもクローゼットを見てきます!」  ではまた後で、と言い残し、セシルは軽い足取りで部屋を出た。  数分後、制服姿の春歌は居間でセシルを待っていた。幸い当時と体型は殆ど変わっておらず、着ることに苦労しなかった。だが、それでも妙な気恥ずかしさが、いくら打ち消しても春歌の胸中に湧き上がる。 「お待たせしました。My Princess」  だが、セシルの姿を見た瞬間、そんな気持ちはどこかに消えてしまった。 「セシルさん、すごくかっこいいです……!」 「ふふっ。ワタシが初めて制服を着た時も、アナタはそう言ってくれましたね」 「そうでしたね。だって、とても似合っていますから」  春歌はそう言いながら再びうっとりとセシルを見つめた。シワ一つないスタンドカラーのシャツに、きちんと絞められたネクタイ、金ボタンの留められたジャケット、何もかもが記憶そのままで、春歌は深い感慨を覚えた。その熱い眼差しに、セシルはややたじろぎながらも頬を染める。 「セシルさんって元々大人びたお顔でしたし、逆にあの時とほとんど変わらないですね」 「そうですか?」  セシルは首を傾げながら部屋の鏡を覗き込む。セシルは軽く首を振ると、春歌の方へと向き直った。 「でもあの時と変わらないのはハルカも同じ。とても可愛いですよ」 「あ、ありがとうございます。でもセシルさん以外には制服なんて絶対見せられないです……」 「はい。誰に願われようと絶対見せてあげません」 「あっ、そういう意味ではなくて……」  何と言えば……と悩んでいる春歌の姿をセシルは微笑を浮かべながら眺めていた。 「懐かしい。今の顔は課題に取り組んでいた時のアナタにそっくりです」 「一緒に課題解きましたね。セシルさんが何度もわたしに教えてくれました」 「はい。アナタはどんなに難しい課題でも決して諦めなかった」 「あの時のわたしにはそれしか出来なかったから……。それにクップル、いいえ、セシルさんがいたから頑張ろうって思えていたんですよ」  あの時の春を思い出しながら、二人はそっと寄り添う。そのまま溢れる思い出を二人はアルバムを捲るかのように話していた。文字通り一瞬で過ぎた夏、世界を救った秋、終止符を打つ覚悟を決めた冬――思い出を辿りながら制服姿の恋人を見ていると、まるで当時の相手に話していると錯覚してしまいそうだった。そして、どんな思い出を話していても、最後には『Destiny Song』に行き着いた。楽譜を集めて、アレンジや歌詞を考え、完成させる為に二人で足掻いたひとときが、より鮮明に蘇っていく。 「この曲をアレンジするのはこれで二回目なんです」  春歌はどこか遠くを見るような眼差しで呟く。セシルは黙ったまま春歌の次の言葉を待った。 「メロディは楽譜が教えてくれたから、あの時のわたしは編曲に力を入れました。いろんな可能性を試して、そして素晴らしい物が出来たと思っています」 「ええ。アナタがいたからこそ運命の楽譜は曲として形になりました」 「ありがとうございます。……でも、今改めてまた編曲をし直すと、あの時作った物以上にしっくりくるアレンジが思い浮かばないんです。それでずっと悩んでいて」 「なるほど……」  セシルは少し考え込むと、立ち上がった。そして卓上にまとめてあった楽譜を手に取ると、春歌の方へ向き直った。 「ハルカ、一度ワタシの声だけを聴いてみてください」  深く息を吸い、セシルはアカペラで歌い始めた。制服姿で立つその姿は当時のままだったが、その歌声を聞いた瞬間に春歌は息を呑んだ。 (今のセシルさんだ……!)  彼の歌声は当時とは明らかに変わっていた。滑らかになった日本語の発音、よりアイドルらしい軽やかな技量、そして確実に深まった愛情、それら全てが今のセシルを伝えている。最後の一音が奏でられる時まで、春歌はセシルの歌声から意識を逸らさなかった。  セシルが歌い終わった瞬間、春歌は夢から覚めたように深く息を吐いた。 「良いアイディアが浮かんだようですね」  セシルがそう言うと、春歌は力強く頷いた。 「ありがとうございます。歌って頂けてやっと分かりました」  それだけ言うと春歌はペンを取り、凄まじい勢いで五線譜に音符を書き込んでいく。その後ろ姿を見ながらセシルは懐かしげに目を細めた。音楽に対する彼女の情熱は、あの時と全く変わっていない。集中している時の女神のような横顔を、セシルは昔も今も変わらず愛していた。 「出来ました……! まだまだひな形ですけど」 「お疲れ様です。見てもいいですか?」 「はい、是非」  セシルは書かれた楽譜を真剣な眼差しで捲った。 「雰囲気は大きく変えないということですね」 「あの時と大きく印象を変えるのは違うと思ったんです。神秘的な印象はそのままに楽器を少なくして、その分セシルさんの声を目立たせます」 「なるほど……。責任重大ですね」 「セシルさんなら大丈夫です。あなたの今の歌声もきっとファンの皆さんに届きます」  春歌の断言に、セシルは思わず笑みを零した。 「アナタがそう言うとワタシも大丈夫だと思えます。My Princess、必ずアナタの期待に応えましょう」 「それならすぐにアレンジを完成させないと……! 着替えてきます!」 「えっ、着替え……ああ行ってしまった……」  自室に走って戻っていた春歌の後ろ姿に、セシルは手を伸ばしたが一歩遅かった。 「少し勿体ないですが……でも、もうワタシ達に制服は似合いませんね」  そう呟くと、セシルも私服に着替える為に自室へと戻った。  数時間後、完成したアレンジを持ってきた春歌を、セシルは抱きしめて出迎えた。春歌は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに彼の背中へと手を回した。 「セシルさん、またこの曲を歌ってくれますか?」 「全力で歌いましょう。終止符を打つ為ではなく、アナタとの未来を紡ぐ為に」 セシルは春歌に誓うように囁いた。春歌はその言葉を聞きながら、セシルへと更に身を寄せる。私服に戻った腕の中の恋人は、あの頃より少しだけ大人びて見えた。

制服デートネタが書きたいなという気持ちとDestinySongアレンジ本当に良かったよねという話。

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