君あればこそ

「どうかな? この後」 「すみません。わたし、この後用事があって」 「それなら今リスケしようよ。俺の名前出せば大抵の用事は先延ばし出来るからさ」 「あの、ちょっと……!」  男は自信に満ちた様子で、春歌の肩を掴んだ。 「おつかれさまでした」  セシルはスタッフ達に頭を下げると、収録スタジオを出た。出演したのはとあるラジオ番組で、そこでセシルの新曲が特集として取り上げられたのだ。歴史ある番組なこともあって現場のスタッフやパーソナリティも熟練しており、収録は滞りなく終わった。  廊下を歩くセシルの足取りは軽い。彼は辺りに誰もいないことを確かめてから、携帯の画面を立ち上げて、春歌へとメッセージを送った。 『無事に終わりました。アナタのおかげです』  数秒もしないうちに、すぐに既読が着いて返信が表示される。 『良かったです! 放送される日を楽しみにしています』  その直後に黒猫が拍手をしているスタンプが送られてきた。それは最近春歌が気に入って使っているものだった。セシルは思わず苦笑すると、春歌へと返信する。 『またそのスタンプを使っていますね』 『ごめんなさい! この子、クップルに似ているのでつい使ってしまいました……』 『ワタシはもう猫ではありませんよ。収録の話の続きですが、新曲について事前にアナタと話しておいて良かった。おかげでラジオでも内容に迷いませんでした』 『わたしとの話が練習代わりになったなら嬉しいです。ますます聞くのが楽しみになってきました』  また春歌からスタンプが送られてきた。セシルが画面を見ると、今度は拍手をしているセシル自身が表示されている。それは事務所が先日発売したセシルも含めたアイドル達の写真を使ったものだった。 『ワタシがワタシに励まされていますね』 『確かにそうですね。でも、わたしはこれですごく元気が出ますよ!』  そのメッセージを見て、セシルは思わず頬が緩むのを感じた。セシルが返事を打とうとした瞬間、春歌から追加でメッセージが届いた。 『セシルさん、ラジオの収録はAスタジオでしたよね?』 『そうです。今日はこれで仕事も終わりです』 『良ければこれから一緒に帰りませんか? 今わたし別棟にいるんです』 『もちろん、喜んで。迎えに行きますね』 『ありがとうございます! 三階の休憩スペースでお待ちしています』 『分かりました。すぐに向かいます』  セシルは携帯を鞄にしまうと、別棟へと急いだ。春歌と帰るのは久しぶりのことだ。どこかで食事でも一緒に出来たら、などと考えてしまいセシルの足取りは弾む。  別棟に入ってエレベーターで三階へと上ると、すぐに休憩スペースが見えた。だが、そこにいたのは春歌だけではなかった。 「で、どうかな? この後」  春歌に話しかけているのは、ラジオ局のプロデューサーだった。 「すみません。わたし、この後用事があって」  困ったように眉を寄せながら、春歌はやんわりと断っている。だがプロデューサーの男は笑うばかりだった。 「それなら今リスケしようよ。俺の名前出せば大抵のことは先延ばし出来るからさ」 「あの、ちょっと……」  男は自信に満ちた様子で、春歌の肩を掴んでいた。 「ハルカ、お待たせしました」 「セシルさん……!」  セシルはすぐさま春歌の元へ駆け寄ると、男の手を払い落とした。 「何? 予定って彼氏とデートだったんだ?」 「ハルカとワタシはパートナーです。誤解を招く発言は控えてください」 「ただの冗談じゃないか。そんな怖い顔するなよ」  男は明らかにムッとした様子でセシルを睨み付けた。 「ハルカ、この方は?」 「隣の会議室で打ち合わせをされていた方です。部屋を出るタイミングがちょうど一緒で……」 「分かりました。ああ、待たせてしまってすみません。早く行きましょう」 「ねぇ、ちょっと待ってよ」  セシルと春歌が背を向けた瞬間、男はセシルの肩を掴んだ。 「何か用ですか?」 「さっき七海さんの手帳見えたんだけどさ、彼女、本当はこれから用事なんてないだろ。俺の方が先に声かけてたんだから、後から来てかっさらうのは良くないと思うけどなぁ」 「後先の話ではありませんよ。ハルカの意志の方が大切です」 「愛島君……だっけ? これは君の為でもあるよ。パートナーの顔が広い方がさ、色々仕事とかもしやすくなるし。まだ新人だろ、君たち」  セシルは男の話を聞き流しながら、エレベーターを見る。まだ三階には来ないようだった。 「多少売れてきてはいるみたいだけど、まだまだ俺が彼女に教えられることって沢山あると思うんだよねぇ」  それに含まれた露悪さを理解できない二人ではなかった。セシルは春歌をかばうように前に立つ。 「いい加減にしてください。ハルカ、階段で降りましょう。ワタシはこの人と一緒にいたくありません」 「さっきからその態度は何だ? しょうもない素人アイドルがラジオ出た程度で偉そうに……。どうせお似合いのくだらねえ歌垂れ流してたんでしょ」  セシルが無視して先に行こうとした瞬間、春歌はセシルの背後から飛び出した。 「偉そうなのはそっちです。セシルさんをそんな風に言わないでください!」 「おお、さっきまで黙って怯えてた癖によ」 「わたしのことはどう言われようと構いません。でもセシルさんやその歌を馬鹿にするようなことを言われて黙っていたくないです。人のことをそんな風に言うなんて一番くだらないことだと思います」 「ハルカ、落ち着いてください」  男に詰め寄ろうとする春歌の袖を、セシルは軽く引いて止めた。ふと春歌が視線を向けると、到着したエレベーターが開いており、呆然としている乗客達が三人を見ていた。 「けっ、素人アイドルにポンコツ作曲家でお似合いだよ!」  分が悪いと察したのか、男は舌打ちをすると踵を返す。セシルと春歌はすぐにエレベーターに乗り込み、建物の外へ出た。 「すみません……。わたし、ついカッとなっちゃって……」  地面に視線を落とす春歌に、セシルは少しかがんで目を合わせた。 「いいんです、アナタがワタシの為に怒ってくれて嬉しかった。それよりワタシこそごめんなさい。遅くなってしまったせいでアナタに怖い思いをさせてしまった」 「そんなことはないです。わたしの運が悪かっただけですし、カッとなったからか怖い気持ちなんてどこかに飛んでいっちゃいました」  そう言うと春歌は顔を上げて笑う。セシルはその様子を見て安心したように息を吐いた。 「……やっぱりアナタには笑顔の方が似合います。さぁ、帰りましょう」 「そうですね! セシルさん、せっかくですからどこかで食事でもしませんか?」 「ワタシもそれを言おうと思っていました! どこかに行きたい店は……」  セシルが携帯を開くと、春歌も画面を覗き込む。二人は微笑みあいながら次に向かう場所を探した。先ほどまでの暗い様子などもう思い出す必要もない。  恋人達にとって、互いの存在こそが一番励まされるものなのだから。

セシ春に邪険に追い払われたい~という小説です。みんな追い払われたくないですか?

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