蛍の鳴く夜に

 〝愛島セシル〟の新曲は世に出ると同時に飛ぶように売れた。数日前に出したCDもそうで、デビューして間もない新人の結果としては異例の売れ行きだという。  その結果を受けてか、とあるテレビ局の周年祝賀パーティーへ、セシルと彼のパートナーである春歌も招待された。同じように招待された他の芸能人に混じって、二人はパーティー会場へと足を踏み入れた。  やはり一流のテレビ局ということもあり、会場は夢のように華やかだった。天井から下がるシャンデリア、宝石のように輝くカクテルグラス、足が埋まりそうなほど柔らかな深紅の絨毯――それらは春歌が普段過ごしている世界とは遠くかけ離れているものばかりだった。 「……なんだか落ち着きませんね」  春歌は静かに辺りを見渡し、深く息を吐いていた。 「そうですか? 正式に招待されているのですから何も気負うことはありません。さぁ、どうぞ」  セシルは慣れた様子でスタッフから飲物を二つ受け取ると、片方を春歌に差し出した。 「あ、ありがとうございます」 「ノンアルコールのものですから安心してください。今日は一緒に楽しみましょう」  穏やかに目を細めるセシルを、春歌は返事もそこそこに少し呆けた様子で眺めていた。華やかな会場に佇む彼は、存在感において全く負けていない。普段とは分け目を変えて整えられた髪に、優美な微笑みを浮かべた表情。長い手足に合わせて仕立てられたスーツはセシルに良く似合っている。  なんて素敵な人だろう、と思わず口に仕掛けて、春歌は慌てて口を閉ざした。誰が聞いているのか分からない会場で下手な発言は出来ない。春歌は緩み掛ける頬を軽く叩いた。 「それにしてもハルカのパーティードレス姿はとても可愛らしいですね。」 「えっ! そ、そうですか……?」 「はい。アクアブルーが夏らしくて素敵です。アナタの可憐さにも合っている」  その言葉は、周囲の人々には聞こえないように囁かれていた。春歌が思わず顔を上げると、セシルは静かにグラスを傾けている。  セシルさんもとても素敵です、その言葉は殆ど独り言のように呟かれた。セシルはそれに僅かな流し目で応える。瞬くほどの時間で二人の視線は深く絡み合い、離れた。  既に二人の方へ何人もの賓客が向かってきている。何の為にこの場に呼ばれているのか、それが理解出来ないほど二人は子供ではなかった。気鋭の新人アイドルと作曲家、その肩書きは周囲に多くの人間を呼び寄せた。次々と入れ替わる人波の中にはテレビ関係者や音楽家、他事務所の先輩芸能人など、多くの人間がいる。とても良かった、素晴らしい成果だ、今後に期待している――絶え間なく掛けられる言葉に二人は出来うる限り答えていた。用意してきた答えの中に垣間見える年相応の自信や喜び、深い決意、そしてそれらを支えている才能は集まった人々を満足させた。今後の取引相手として、ライバルとして、芸能界の新潮流として若い二人は中心にいた。  主催の挨拶や乾杯、次々に振る舞われる料理、レクリエーション――パーティーが活気を帯びて行くにつれて、周囲の人間も入れ替わっていく。 「いいねぇ。新人賞もほぼ確実なんでしょう? おめでとう」  そんな中で、セシルと春歌に声を掛けたのは一人の男だった。セシルは春歌より先に前に出ると、差し出された名刺を受け取った。そこには男の名前と他事務所のプロデューサーということが簡潔に記されている。プロデューサーの男は春歌にもすぐに同じ名刺を差し出していた。 「ありがとうございます! 新人賞はまだ分かりませんが、最大限の努力はしました」  答える春歌にプロデューサーも男も目を細めている。その時セシルは、男の目の焦点が微妙に合っていないことに気づいた。彼が持っているグラスは琥珀色の液体で満たされている。用意されてたドリンク類で同じ色のものはかなり強いアルコールだったとセシルは記憶していた。 「俺が担当してる子達はなかなか芽が出なくてさぁ、地方営業ばっかりだよ」 「ハルカ、あとはワタシが――」  セシルが間に入る前に、男は数歩足を進めた。男は春歌へと目線を合わせるように身を屈めて話を続ける。 「君達、パートナーとか言ってるけどさぁ、結局付き合ってるんでしょ」 「いいえ。パートナーなのは仕事上だけです」  周囲が凍り付く中で、春歌は笑顔を保ったまま答える。その回答も態度も自然なもので、彼女に動揺は見られなかった。男はそれを鼻で笑う。その時春歌は男から漏れた息の酒臭さに気づいた。 「いいよねぇ、イチャついてたら曲が出来てさ。惚気で馬鹿売れするなんて、うちも見習いたいよ」  その言葉を聞いたセシルの眉が僅かに上がる。少々強引に二人の間へと割り込んだセシルの袖を、春歌は周囲に分からないように軽く引いた。セシルは小さく頷くと、普段通りの微笑を瞬間的に作り上げる。 「たしかに、作曲家との信頼関係は良い曲を作る上で大切です。ぜひ見習ってください」 「……これは一本取られたな」  男は漸く微妙な空気に気づいたらしく、少し的を外した返事をした。周囲の人々はやや大げさにその答えを笑い、その場の活気を強引に引き戻す。男はセシルと春歌の方を見ようともしないまま逃げるように去って行った。  その後は何か起きる訳でもなく、パーティーは盛大に幕を閉じた。二次会をと掛けられる声もあったが、仕事を理由に二人は全て断った。足早に事務所が用意したタクシーへと乗り込み、セシルはある場所を運転手に告げた。春歌もそれを止めなかった。その後はセシルも春歌も口を開くことなく、黙って車の振動に身を任せていた。  目的地に着いた時、運転手はやや怪訝な顔をして口を開いた。 「本当にここですか?」 「はい」 「……失礼しました。では」  タクシーが去るとセシルと春歌は二人きりで、薄暗い川辺に取り残された。ここから家までは歩いて十分もかからない。周囲に民家もなく、人気の無いこの場所を今まで二人はよく歩いた。 「疲れているでしょう。すみません」 「いいえ、多分わたしも同じ気持ちですから」  自然に差し出された手を春歌はそっと握った。 「はい。このまま帰るのは嫌でした」 「わたしもです。なんだかこの気持ちを家まで持って帰りたくなくて」  そのまま二人は並んで川沿いを歩く。その表情はやや暗く、浮かぶ笑顔もぎこちなさが拭えなかった。  晩夏の道は一時期に比べると気温が下がり、心地よい風が絶え間なく吹いている。その合間を縫うようにして、川辺には一つ二つと光が飛び交っていた。 「あ、蛍ですよ。今年も見られましたね」 「嬉しいです。いつ見ても美しいですね」  春歌は目を輝かせて、飛んでいく緑の光を見ていた。こうしてこの川沿いで蛍を見ることは、寮を出てこの地に越してきてから二人の恒例行事になっている。だが、今年は忙しさでなかなか時間が取れずにいたのだった。  セシルは立ち止まり、しばらくその光を眺めていた。彼は蛍を見つめたまま低い声で呟いた。 「想いを口にしないで光っている蛍こそ、より深く思い焦がれている。そんな言葉が日本にはあるそうですね」 「鳴かぬ蛍は身を焦がす、ですね」 「ワタシはそうは思いません。蛍たちの光こそ彼等の言葉、想いの表現です。それを言葉として認めないことは、酷いとさえ思います」  思わず春歌が顔を上げると、セシルと目が合った。辺りを飛ぶ光によく似たその輝きはまっすぐに春歌を見つめている。 「彼等の想い、その光が美しいからこそ、人々は蛍を愛する。……違いますか」  辺りはしばし沈黙に包まれた。その間も川は流れ、水面と戯れるように蛍は飛び交う。時間が経つにつれて、その数は大きく増えていた。中心にいるセシルは、サイリウムに満ちた会場のステージに立っているかのように春歌には見えていた。 「……違わないと思います。ステージのセシルさんが誰よりも輝いているのと同じです」 「少しズルい聞き方をしてしまいましたね」  セシルはやや自嘲気味に笑うと、再び歩き始めた。 「でもワタシが歌えるのはアナタがいるから。それは事実の一つかもしれませんが――」 「あんな言い方をされたら悲しかったですよね」  黙ったまま頷くセシルの髪を、春歌は空いている片手で撫でるように梳いた。セシルは少し春歌の方へ身を屈め、彼女の好きにさせていた。 「ワタシはアナタがどれだけ頑張って曲を作っているのか知っている。だからとても腹が立ちました」 「気にしないでください。セシルさんがそう思ってくれるだけで十分ですよ」  想いを表現する彼女の旋律が人々の心を打つように、愛に満ちた光の中で微笑む春歌は、セシルにとってこれ以上無いほど美しく映っていた。

セシ春はお互い輝きあっているんだよという話

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