Dear
深く息を吸って、吐く。精神を落ち着かせた後に僕はペンを取った。いつも通りのルーティーン。普段メモしていた感想から可も無く不可も無い当たり障りの無い、だけど絶対に不快に思われないような文章を作っていく。ドラマの演技で複雑な感情をよく表現出来るようになっていたとか、歌番組で振りを少し間違えてたけどカバーが完璧だったとか、あくまで凡庸かつ善良で熱心なファンとして。一通書き終わった後にもう一通、今度は文体を変えて。
「初めてお便り送ります…………と」
悪くない。中学生の女の子が書いたことにしよう。ならば適度にデコった方がいいか。敢えて安物のカラーペン(色は勿論黄緑だ)を取り出し、可愛らしい花なんて書きながら初めて教えて貰ったときめきをせっせと書き込んでいく。ネットで拾った女の子の適当な意見を混ぜてそれらしく仕上がれば完成だ。きっと喜んでくれるだろう。
今度は彼女との付き合いで行ったライブでファンになった男の子として筆を取る。
全て同じ人間に向けて、愛島セシルへのファンレターを僕は書き続けている。
本当の僕はセシル君の極一般的なファンの一人だった。ただ、ファンになった時期は彼がそれなりにメジャーになってからだったので、直接会ったとかイベントで見たとかは片手で数える程しかない。それももの凄く遠くから,豆粒のような姿を見ただけだ。仕方ないことではあるけれど、やっぱりそれは残念だった。少しでも側に行きたい。それはファン心理としては当然のことだろう。ライブも中々行けない、グッズも積みにくい薄給の僕がセシル君の側に行く手段として選んだのはファンレターだった。事務所の発表を鵜呑みにするならファンレターは必ずセシル君の元へ届く。僕の一部は誰よりも側にいることが出来るんだ。最初は闇雲に書くだけで精一杯だったけど、毎日毎日送るうちに同じ人間から数百枚のファンレターを貰うのって若干気持ち悪いのではと気づいてしまった。
そこで編み出したのがなりきりファンレターという訳だ。あらゆる階級の人間に成りきってセシル君の魅力を紡ぎ出す。そうすればきっとセシル君の仕事にだって良い影響があるだろうし、僕からの手紙の回数も減って気味悪がられることも無い。手先だけはやたら器用だったから色んな人間の筆跡を真似するのも苦じゃなかった。
娘とファンをしている五十代のパパとして筆を置いた僕は今日書いた八通の手紙を眺める。これだけの僕の分身がセシル君の元へと届くのだ。あとは最後の仕上げだ。
書いた手紙を一通ずつ手に取り、左下と右下、読む時に必ず触る部分を口に含む。文字には触れないように気をつけながら丁寧に唾液を舌で擦り付けた。セシル君に届くように。僕のキスがあの子に触れるように。
セシル君が手紙の先にいる人々を思う時、僕のキスがあの綺麗な手に届いている。なんてロマンチックなことだろう。
血文字で書いたり、精液を染み込ませるなんてやり方は素人以下だ。そんなもの事務所のチェックで外されるに決まっているじゃないか。でも僕のキスだけはあの子に届くのだ。何度味わってもこの優越感は堪えられない。最高だった。
手紙を丁寧に乾かして、封筒に一つ一つ入れていく。切手にも祈りを込めて丁寧に口付けた。万が一のことを考えて僕個人からの手紙以外に返信用の住所は書かない。後はそれらしく郵便局を散らして投函すれば、都内津々浦々からの立派なファンレターの完成だ。
早く届かないだろうか。昨日送ったのは届いただろうか。僕の想いはあの子に触れているだろうか。僕は側にいるのだろうか。
愛島セシルのファンの年齢層は特に広いことで知られている。
メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで